美風庵だより

風にちる 花のゆくえは 知らねども

6月12日の日録(1)



昨夜、あわてて書いたので文面のおかしいところがありました。全体的に修正しました。(2022.06.13)

唐津を歩きました。編集出来次第掲載します。

九州・山口が梅雨入り 去年より約1か月遅く 九州南部では昼過ぎにかけ大雨に注意 | TBS NEWS DIG

2022年6月11日(土) 11:56
気象庁はさきほど、九州地方の全域と山口県が「梅雨入りしたとみられる」と発表しました。平年よりも遅く、去年と比較すると1か月遅い梅雨入りです。

とうとう今年も梅雨入りしました。外を歩き回れる機会も減りそうです。天気予報をみると、日曜日(つまり今日12日)は、降水確率10%。

来週は雨の予報ばかりで、当面、どうやら最後の晴れ間になりそうです。

こういうときは、稼がないといけません。

数分思案して、佐賀県唐津市内を歩いてみることにしました。

現地を約6時間歩き、さきほど帰宅したのですが、まだ何も手を付けていません。

これから編集して、後日、分けて掲載したいとおもいます。

反省。

この日記はコメント承認制にしているため、コメントが投稿されると、はてなからメールが届きます。

午前11時ごろ唐津市内を徒歩で移動していたら、コメントが書かれた旨、はてなからメールが来ました。

こういう内容です。

メールを読み、イラっときて、最初のぶんはすぐ削除の処理をしてしまいました。

削除したあと、まさか関係者のかたからの苦情ではないか?消しちゃまずかったか?とおもいなおします。あらためて文面を3回読み返してみます。関係者の苦情であれば「怒り」があるはずなのに、「さげすみ」「軽べつ」「嫌悪」しかありません。

年数回来るクレームのたぐいです。

前回は、家相の本について書いたら、その家相家の信者さんから猛烈なクレームをいただきました。こちらは高校のころからいろいろ家相の本を読んできて「家相の流派で中心をとる考えかたが違う」、つまり配置の吉凶を検討する基点が流派で違うのはどうなのか、というのを問題としたつもりでした。その家相家さんなんて「ここが基点」と大黒柱を建てた位置が基準だってんだから、もうこれどうにでもなります(笑)

むろんどの流派も商売ですし、そこに信者さんが居るのは否定しません。占いの世界はそれが拠りどころになるふしがあり、自分の拠りどころを否定するのですから、そのぶん抗議もきっついのが飛んできます。

今回は、2つ同じひとが書き込んでいました。名前は違いますが、発信元のIPが同じです。かたほうは消したものの、もう片方は承認待ちで残っています。

こちらは承認しておきました。

IPをlookupで検索してみると、発信元がわかります。といっても、個人の家ではなく、契約しているインターネット事業者の接続設備(アクセスポイント)がある場所です。関東のほうですね。

コメント管理を強化! ゲストのコメントを接続元(IPアドレス)で拒否できるようにしました - はてなブログ開発ブログ

はてなは接続元のIPでコメントを拒否する機能があります。拒否するほどコメントも来ないので、さすがに使ったことはありませんが。

合掌。


なぜ「神社めぐり」をはじめたか。

2008年にはてなダイアリー(現 はてなブログ)に引っ越してきて「最低1日1記事」を目標にすることにしました。

しかし毎日そんなにネタがあるわけではありません。

自然と書きためがきく題材をとっておき、日々の日記(日録)で埋められない日はそれを掲載するようになっていきます。そのひとつが「神社めぐり」でした。

もともと素養はあったのかもしれません。

むかし、高良大社(高良玉垂宮)の麓に住んでいました。当時住んでいたアパートは、県道付替え工事でみごとになくなりましたが、月に数回は、そこから高良山に登っていました。

高良玉垂宮神秘書同紙背 (1972年)

吹奏楽のほか同人誌に顔を出しており、そこで大学の教授から玉垂宮神秘書は重要と聞き、大学図書館に所蔵されたものを複写して読んでいました。

高良大社に行けば新品を1万円で頒布してもらえるとのことでしたが、図書館のものをコピーすれば、字の読みやすさはべつとして、半額かかりませんからね……。

ただ、この内容は読んでもらえるとわかりますが、かなり異質です。ソソリノ命なんてのが出てくるし、ウガヤフキアエズが初代住吉大明神だと書いてあるし、ウガヤフキアエズから神器を譲られて玉垂命が天皇になるったって、ウガヤフキアエズのパパは山幸彦……どっから神器がでてきたんだ?住吉三神が安曇磯良、神武、高良玉垂命?

はぁ、なにがなんだか……。ついていけん。あほか。

ちょろっと読んで馬鹿らしくなり、コピーの山をマチ封筒に入れて、そのまま放置しました。

いつだったか、神職のかたから「ここの神様は出雲には行かない。格下には出向かない」という話をされ(あぁ、神秘書にもそういう記述あったわ……)と、夜行バスで行った出雲の風景と、目の前の神社を見比べてなにを言っているんだという気になったのも事実です。

ただこの神秘書、捨てるには惜しく、のちに書籍を入手するまで、ずっと保管していました。

どうやら神社というものは、自己の権威付けのため、由来や伝承を「盛る」ものらしい。そう斜に構えて眺めるクセが身についたのも、おそらくこの経験のためだとおもわれます。

2019年に「1日1記事」のネタとして神社めぐりをはじめてみると、題材として意識しているせいか、伝承や由来のブレが気になるようになります。どうやら、盛っているだけではなさそうなのです。

記紀をはなっから絶対視はしていませんでしたが、どうも何がほんとうかわからんな……。ではなにが正しいのか。それは数をめぐっていけば、お互いの盛った部分をはぎ取った答えが出てくるんじゃないか、とかんがえるに至ります。

アブダクション - Wikipedia

アブダクションは、関連する証拠を(真である場合に)最もよく説明する仮説を選択する推論法である。アブダクションは観察された事実の集合から出発し、それらの事実についても尤もらしく、ないしは最良の説明へと推論する。

これはチャールズ・サンダース・パースがいうところのアブダクションの過程です。神社めぐりと言いつつ、哲学者がやる思考実験にちかいものなのかもしれません。

しかももともとの目標「1日1記事」も10年はこれで引っ張れるわけですから、二度おいしい。

まるでアーモンドグリコです。すてき。

 

つづきは以下のURLからどうぞ

6月12日の日録(2) - 美風庵だより