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鳥居があり、その先に楼門があり、そして長い参道があって玉垂宮の社殿があります。県南地域でみかける玉垂宮のフォーマットそのものなのですが、久しぶりに訪問してみると、境内いたるところが駐車場となっていました。
地元の行事かなにかでしょうか?
調べてみるとどうやら戦国時代、ここは田川村館(田川城)と呼ばれ、田川氏が治めた城だったとのこと。現在も、南側に外堀跡が水路(赤い線)で残っているようです。
「田川」ときけば、すぐ連想するのは福岡県中央の田川市郡部です。
あの「田川」は天之忍穂耳が鷹の姿で英彦山に下ったことを示す「鷹羽」が元とされています。するとここも、高木大神(高皇産霊神)や天之忍穂耳を祭祀する者の拠点だった時代があったのでしょうか?
そんなことを考えながら楼門のなかをのぞくと、花菱紋をもちいた装飾がなされていました。
ここはもしかすると廃城の跡地に、あらたに地域の鎮守として勧請されたのかもしれない。調べてみないとわかりませんが、どうもそういう気がします。
福岡県神社誌:下巻23頁
[社名(御祭神)]高良玉垂命神社(武内宿禰、住吉大神、応神天皇)
[社格]村社
[住所]三潴郡三潴村大字田川字北畠
[境内社(御祭神)]記載なし。
[摂社(御祭神)]記載なし。
[末社(御祭神)]記載なし。
(2022.01.15訪問)