松村かえるの「かえるのねどこ」

旧「美風庵だより」です。

朝倉市須川 日吉神社


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朝倉市長渕 日吉神社(山王神社) - 美風庵だより

延暦23年(804年)に出発した遣唐使が途中暴風雨に遭い、最澄が日吉神社(比叡山)に祈願されたところ風雨が止み、無事中国にわたることが出来ました。帰国後、大同2年(807年)に日吉神社を勧請したのが、この長渕の山王神社のはじまりであると書かれています。

福岡県神社誌の御祭神欄をながめていて、車で10分ほどのところの朝倉市長渕の日吉神社を思い出しました。

トヨクモノ - Wikipedia

『日本書紀』本文では、天地開闢の後、国常立尊、国狭槌尊の次の三番目に豊斟渟尊が化生したとしており、これらの三柱の神は男神であると記している。
第一の一書では、国常立尊・国狭槌尊の次の三番目に化生した神を豊国主尊(とよくにぬしのみこと)とし、別名がして豊組野尊(とよくむののみこと)(略)であると記している。

なかなか近所の神社めぐりをしていて、豊国主=豊玉彦を豊斟渟尊という名前でみかけることはありません。

朝倉市長渕 日吉神社(山王神社) - 美風庵だより

つまり、大山咋の母 市杵嶋姫が天之忍穂耳と別れさせられたあとに(これが七夕伝承の骨格です)身を寄せた大己貴(大国主)のファミリーと一緒にお祀りされているのが、日吉大社(比叡山)の基本形と言ってよいでしょう。
おそろしいほど原型を保っている日吉神社で、この神社が本物の古社であることを、御祭神の顔ぶれが証明しているのです。

おそらくここも同様に解してよいと思われます。かなりふるい神社なのでしょう。 

それにしても玉積の石垣のうえにお宮を建てる、物部氏特有の建築様式がここでもみられます。いっけん見過ごしそうになりますが、この地域はほとんどこれです。

福岡県神社誌:下巻412頁
[社名(御祭神)]日吉神社(豊斟渟尊、国狭槌命、国常立命外4柱)
[社格]無格社
[住所]朝倉郡宮野村大字須川字中裏
[境内社(御祭神)]記載なし。
(2022.01.10訪問)