松村かえるの「かえるのねどこ」

旧「美風庵だより」です。

北九州市門司区田野浦2丁目 淡島神社


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12月11日の日録 - 美風庵だより

訪問当時の日記に書きましたが、ここから徒歩数分のところに「遊女の墓」が22体あります。

淡嶋神社 - Wikipedia

淡島神は婦人病にかかったため淡島に流されたという伝承から、婦人病を始めとして安産・子授けなど女性のあらゆる下の病を快癒してくれる神社とされている。かつては祈願のため男根形や自身の髪の毛などが奉納されていたが、現在はそれらに代わって自身の穿いていた下着を奉納する女性が多い。境内奧の末社には絵馬などと共に多数の女性用下着が奉納されている。 

江戸時代、淡島神社は婦人病、とくに性病の神様として信仰されていました。淡島さまに遊女の墓とくれば、ここには花街があったのか……。

福岡県 | 遊廓・遊所研究データベース

小倉藩は宝暦の頃(1751~1764)、田野浦の港に茶屋女郎を置く遊女屋を許可しており、幕末期には永文字屋、蛭子屋、新開の鍛冶屋が営業していた公許の遊廓地である。(『北九州市史』近世、1987年)北前船の寄港地であったため乗組員を客として繁昌し、遊女40人が存在した。(『北九州市史』近代・現代 行政社会、1987年)

日本遊廓一覧

福岡 門司市内本町 馬場 17 250

3軒で40人ほどが働いていたようです。昭和初期に発売された書籍ではすでに田野浦の文字はなく、門司市内本町馬場は、いまでいえば門司区東本町のあたりで、おそらく田野浦の衰退と門司港の隆盛にともない、移転したのでしょう。

福岡県 | 遊廓・遊所研究データベース

明治20年(1887)福岡県警察部長から企救郡長へ地元意見の問い合わせがあった。郡長は、貸座敷設置場所を旭町とするかどうかは検討を要するとし、別の適地も考慮する案を述べた。すでに指定地となっていた田野浦については、非常に景気の良い門司港に近く廃止するべきではないとしている。結果的に、同年9月、「貸座敷娼妓取締規則」(改正)において「企救郡 小倉船町」が指定地に追加され、舟町の旭町は芸娼妓営業許可地となった。(『北九州市史』近代・現代 行政社会)

(略)

小倉旭町が芸娼妓営業許可地となった時点ではすでに歩兵第14連隊が駐屯しており、芸娼妓営業許可を嘆願する運動の背景には小倉築港財源としてという理由だけでなく、小倉町繁栄のため軍隊を誘致する運動とも深い関連があったと考えられ、芸妓・娼妓の負担は町全体の繁栄の手段となっていたと言える。

なるほど、小倉駅近くのあのソープランド街は、軍隊さんが駐屯したあとに後からできたものなのですね。 

福岡県神社誌:記載なし(発見できず?)
[社名(御祭神)]?
[社格]?
[住所]?
[境内社(御祭神)]記載なし。
(2021.12.11訪問)