松村かえるの「かえるのねどこ」

旧「美風庵だより」です。

北九州市門司区白野江3丁目 御祖社(御祖神社)


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社殿が一段高くなって、目の前に広前がひろがっています。この構造は、地域住民を集めて令達する意味合いがつよく、祭政一致の出城(例えば英彦山における大行事社とか)でよくみられます。この御租神社も、おそらくは同様の性格をもっていたのでしょう。もしかすると城や館の性格を持っていたのかもしれません。

御祖(みおや)神社という名称は、祖神を祀るくらいの意味しかありません。京都・下鴨神社(賀茂御租神社)ではヤタガラス(豊玉彦)を祀っていますし、久留米・高良大社の参道には伊勢天照御租神社があります。

ただ、ここで御租神社といえば、なんといっても足立山妙見宮です。この御租神社も、おそらく昔の姿は、天之御中主を祀る妙見宮だったのでしょう。

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本殿両脇に、境内社があります。とくに大きい祠には、「御租神社・大己貴命・蛭子命」「手力男命」「白龍大神・少彦命」と彫られた石板が並べられており、どうやら御神体そのもののようです。おそらくこの4つの境内社は、同じ地区内から移転してきたものと思われます。

それにしても白野江(しらのえ)という地名が気になります。「白のひとたちの港」といった意味でしょうか。

642 火の君とは歴代の橘一族だった  緊急提言 全国の九州王朝論者に告ぐ! “白族は雲南から” : ひぼろぎ逍遥(跡宮)Sympathy for the Devil

ペー族 - Wikipedia

この点については「中国の白族が信仰を持ち込んで移住してきたのだ」という説を唱えておられる百嶋神社学の皆さんの論考をお読みになるのが、比較的わかりやすいとおもいます。

Y染色体ハプログループの分布 (東アジア) - Wikipediahttps://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/0/0d/Migration_map_of_Y-DNA_haplogroups_in_East_Asia.png/1065px-Migration_map_of_Y-DNA_haplogroups_in_East_Asia.png

そもそも日本人がどこから来たのかを、マクロの観点で眺めれば、おそらく百嶋神社学は大正解です。

ハプログループO1b2 (Y染色体) - Wikipedia

最も近縁のハプログループO-M95に至る系統との分岐は約28,300(95% CI 26,100~30,500)年前とされている。
O-M175のサブクレードのひとつで、稲作文化を伝えた弥生人(倭人)と推定される。現代の日本人や満州民族、朝鮮民族の男性に多いO-K10のY-DNAの最も近い共通祖先は約7,200 (95% CI 6,200~8,200)年前に誕生したと考えられる。

とはいえ、はたしてそんな何千年も何万年も前の記憶がいつまでも伝承され続けるでしょうか?

そこが、百嶋神社学と白族起源を考えるときの課題になります。おそらくここを解決できなければ、ほとんどのひとが納得しないでしょう。

たしかに、いまのように東京日帰りできる時代ではありませんし、電話もインターネットもない時代ですから、非常に狭い、非常に小さいコミュニティの記憶を濃厚に維持しながら生きていたのは間違いありませんが……。

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目の前の周防灘・豊前海は、好漁場として知られた場所です。

白族はチベットにとどまりましたが、同族だった我が日本人の先祖は、海流を読み船をあやつり、好漁場をおさえた海洋民族となったのです。歴史のロマンですね……。

福岡県神社誌:下巻450頁
[社名(御祭神)]御祖社(高御産巣日神、天之御中主神、神御産巣日神、産稲毘売神、須佐之男神、八柱神、彌都波能売神、須佐毘神)
[社格]無格社
[住所]門司市大字白野江字柿迫
[境内社(御祭神)]記載なし。
(2021.12.11訪問)