明治天皇藤田御野立所跡
25日、知人事務所の下請けで久留米市内に出ました。以前からリストアップしていた久留米市荒木町藤田の玉垂宮を訪問するさい、近くの「明治天皇藤田御野立所跡」に足を伸ばしてみました。
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明治天皇聖蹟(めいじてんのうせいせき)は、明治天皇が行幸で訪れた場所や建物である。そのうち377件が史蹟名勝天然紀念物保存法にもとづいて史蹟に指定された。戦後占領下「史跡の指定が新憲法(日本国憲法)の精神にそわない」とみなされて、1948年6月29日、指定を一斉に解除された。
石碑に「明治天皇藤田御野立所」とあり、ここが行幸の場所だったのかと周囲を見回します。
普通ならもっとでかい石碑とかがありそうなのにな、とおもいつつ地理院地図を確認すると、どうやらここは入口のようなのです。
歩いて砂利道を登っていくと、周囲を見渡せる丘のうえに石碑がありました。
「大元帥陛下駐蹕*1之処」とあります。明治天皇は1911年(明治44年)11月14日、下広川村藤田稲荷山で陸軍特別大演習を統監されました。これは、熊本・久留米の部隊(師団)で組織した南軍と小倉ほかの部隊で組織した北軍が久留米付近で交戦するという演習だったとのこと。
現在は木々でさえぎられていますが、たしかにここは視界がよさそうです。
石碑から見下ろせる位置に、なにやらお堂と石仏がいっぱい並んでいます。さらに坂道を下りていくと、寺か神社の残骸?らしきものがあります。
GPSの座標と突き合わせると、どうやらこれが神社のようなのです。
境内のあちこちから竹の子が突き出ており、そうとう前から放置されているようです。
ふと、なにやら青いものが見えて近づくと、どうやら青いズボンをはかせたお人形だとわかります(さすがにこちらの画像は掲載しません)。さすがに気味が悪くなり、脱出できる道をさがします。
道をみつけて下りていくと、これまた空き地のようなところに出ました。
つづいて、久留米市荒木町藤田の玉垂宮を訪問し、甘木に帰宅しました。
1955年(昭和30年)、八女郡広川町が成立するさい、この下広川村の一部は筑邦町(現在は久留米市の一部)や筑後市に分割・編入されたそうで、いまと当時の境界線を比べると、ずいぶんと違います。
同じ藤田でも、明治天皇の聖蹟はどうやら広川町で、玉垂宮は久留米市荒木町のようです。注意しないとややこしい……。
「串の帝王 雁の巣」
19時から、以前の仕事場でお世話になっていたかたがたと、呑み会でした。
いちど甘木に戻らず、そのまま筑後市に来てビジネスホテルに宿をとろうかとも考えたのですが、26日は大雨という予報がでていますし、家をあけるのも不安です。
そのため、いちど甘木に戻り、あらためて電車でJR羽犬塚駅に出てきました。
串の帝王 雁の巣 (くしのていおう がんのす) - 羽犬塚/焼鳥/ネット予約可 | 食べログ
今回のお店「串の帝王 雁の巣」です。以前にも利用したお店で、たれ焼きの焼鳥や骨付きカルビがじつに美味いお店です。地鶏の炭火焼きも皮がぱりっと焼けていて、酒がすすみます。
おそらく自宅の徒歩圏内にあったら毎日、骨付きカルビと地鶏炭火焼を1人前ずつ頼んで、ハイボールかレモンサワーを2杯飲んで帰ることでしょう。肉ばっかりじゃ栄養偏りそうではありますが……(笑)
あと、串ものだとダルム(豚の白モツ)が、いくらでも酒がいけます。
なお、集合時間まで時間があったことから、徒歩数分のところにあった熊野神社・月読神社も訪問しました。
羽犬塚駅からの帰り道、JRの電車内に西武鉄道の広告がありました。
西鉄電車で、駅に南海電車や京急のポスターがあるのはみてましたが、JR九州さん、西武鉄道の広告やるんですね……。
「ラビュー」はいっかい乗りましたが、窓枠がでかくて視界が良く、驚きました。あと、シルバーメタリックの塗装がいいんですよ。JR九州も水●岡ばっかりじゃなくて、ほかのデザイン会社使わないのかねえ……。
*1:ちゅうひつ:一時滞在すること