松村かえるの「かえるのねどこ」

旧「美風庵だより」です。

祈るのは自由だが、ひとは霞を食って生きられない。

折り鶴騒動について

折り鶴は意味のない行為?日本人のウクライナ支援に賛否(ABEMA TIMES) - Yahoo!ニュース

2ちゃんねる創始者のひろゆき氏は、日本からウクライナに千羽鶴を送ろうとしている団体に対し、Twitterで「千羽鶴とか『無駄な行為をして、良い事をした気分になるのは恥ずかしい事である』というのを、そろそろ理解して貰いたいと思ってるのは、おいらだけですかね?」と痛烈に批判。
一方、ネット上では「ここまで強く攻撃して否定してくることに不快感を覚えます。少なくとも、(鶴を)祈りに力があると思って折っている人たちの方が、この行為を攻撃してくる人たちよりは平和に近い生き方のように思います」といった声が上がっている。
今年3月、この折り鶴問題で同様の批判を受けた人がいた。岐阜県に住む保井さんは、有志を集め反戦の意味を込めて千羽鶴を作り、ウクライナ大使館に送ろうと考えていた。しかし、取り組みが地元紙に取り上げられると批判が殺到したという。

平成29年7月の九州北部豪雨当日は、久留米県税事務所に個人事務所の書類を提出しに行った帰りでした。私は運よく本降りをやり過ごして自宅まで帰り着くことができ、マンションの3階だったため被害はなく、車も無傷ですみました。隣の一軒家(借家)は床下浸水し、家主が補修をあきらめて現在借り手なく放置されています。マンション駐車場拡張用地として売ってくれと交渉しましたが、家主のむかし実家だったらしく、売るのはしのびないと拒否され、現在に至っています。

当時も現在と同様、知人事務所の下請けをやっていたのですが、ときどき冷房代をケチるため市立図書館にパソコンを持ち込んで作業していました。市立図書館との行き帰りにある中央公民館が避難所となっており、炊き出しの時間に通りかかることがままありました。

図書館のなかにも、避難者のかたが新聞や雑誌を読みに来ておられました。

もれてくる会話から、着のみ着のまま、携帯電話を持って逃げ出してこなかったため、最初家族の連絡先すら覚えていなかったかたもおられたようです。

携帯の連絡先に登録したあと、家族や親せきの個々の電話番号をそらでおぼえているかたは、ほとんどいないとおもいます。避難所でたまたま学校の同級生に会うまで、妹に連絡することもできなかったという話が、耳に飛び込んできました。

あのときこの会話を聞いて怖くなり、いまは財布に従兄弟たちの電話番号を書いたメモを入れています。

日に日に疲れの色が濃くなっていくのがわかります。3日おきくらいで図書館で盗電、もとい仕事をしていましたから、自然と遭遇する時間も増えます。

午後から事務所に顔を出すため、午前中、背広を着て図書館に行ったら炊き出しに遭遇し、「うらやましい御身分やなぁ」と、知らぬ避難者男性からいきなり面罵されて面食らったことがありました。被災から1~2か月ほど経ち、親せきや家族で引き取り手があるかたは避難所から退所して、残っている側のストレスが極限に達していました。

ある日、いちど提出した書類の全面再作成を命じられ、図書館で作業をしていたとき、いきなり大声がしました。

雑誌を読んでいた避難者のかたが、泣いています。

「おれにはなにもない、家もないカネもない、誰も連絡がとれん。お前たちわかるか!わかるか!これからどがんするとか!死にゃいいとか!」と、泣きながら近づいてきた職員や利用者に食ってかかります。或る利用者のかた(たぶん)がなだめようと「私の姉妹も家が壊れてうちに来ている」といった内容の話をされたところ、「知るか!お前んとこに行けるやないか!(=そいつはお前の家で住まわせてもらえているではないか!)」とさらに激高し、複数名に抱えられそとに連れ出されていきました。

個人的にひろゆきの発言に賛同するのはしゃくにさわるものの、果たしてあの避難者が千羽鶴で救われるかといったら、それはないでしょう。残念ながら今回のひろゆきの発言は、正しいと言わざるを得ません。

ふたたび生活できる状態にもっていくために必要なのは、だいいちにカネと食い物です。そして家です。

避難所が閉鎖されたということは、身寄りがなく最後まで残ったみなさんも、どこかの公営住宅に入居されたりしたのでしょう。冷蔵庫や洗濯機、布団だっておカネがかかります。遠縁のかたから支援をうけたり、どこかから借金されたのかもしれません。

ウクライナで退避していた防空壕から出てきたら家が破壊されており、がれきを片付けていたら親族の死体をみつけて号泣している姿とか、日々報道されています。あのひとたちに千羽鶴がなんの意味を持つか?自分が逆の立場になったときを想像すれば、わかるとおもうのです。

ただ。

被災地に届いた寄せ書きや千羽鶴が、地域の集会所や学校に飾られています。

前の仕事場時代にお世話になったかたや、近所のかたに床下浸水や庭(駐車スペース?)の損壊はあったものの、私の周囲で人命にかかわるような被害は幸運にもありませんでした。

当時の私のような極限に追い込まれていない、余裕があるひとは、寄せ書きや千羽鶴で祈りを共有できるのはたしかで、いわば「記念碑のたぐい」としての存在価値はあります。

逆に言えば、極限下であえいでいるひとに、真っ先に送り届けるような代物ではありません。図書館でへたり込んだ避難者のように本人だけ助かり、これならおれも死ねばよかったと泣き叫ぶひとは、千羽鶴では助かりません。鉄砲の弾が飛び交い、ミサイルで職場や家が吹っ飛ぶのを目の当たりにしているひとが、千羽鶴で助かるわけがありません。

ひと段落ついて次のステップに進もうとするとき、祈りを共有する証として、飾られるべきものです。

むしろ寄付を。募金を。

やっと論難する記事が出た。 - 美風庵だより

ウクライナ応援の寄付金口座はこちら。在日ウクライナ大使館が発表 | ハフポスト NEWS

https://www.japanforunhcr.org/campaign/ukraine

日本でも報道されているように、ウクライナで軍事行動が開始され、情勢は著しく悪化しています。すでに子どもや民間人を含めた多くの犠牲者が出ており、2022年4月現在、ウクライナの人口のおよそ4分の1、約1200万人が安全を求めてウクライナ国内外で避難を強いられている他、ウクライナ国内で被害を受けている地域には少なくとも1300万人が取り残されています

ウクライナからの避難民に対する支援の提供を検討されている方々へ|外務省

「もらってもあきれる」ものではなく、寄付をまず検討されるようおすすめします。

真心や祈りは、相手の食い物や服にかえられるものでするべきです。国も宗教も違う相手に、伝わるかどうかわからない日本の風習をわざわざ空輸して押し付けるより、彼らが欲しいものを買えるようにしてあげることが、重要です。