美風庵だより

風にちる 花のゆくえは 知らねども

4月15日の日録



「不要不急の男」

電車やバスのなかでずっと読んでいました。

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最初から最後までこんな調子の「脱力系エッセイ」が続きます。週刊文春のエッセイ、途中でタイトル変更しながら、20年は続いてますからね……。よくまあこれが延々と書けるものです。

今日の運動経路

今日も福岡市博多区内の知人事務所に顔をだすまえに「神社めぐり」をしました。

今回は、福津市の津屋崎でした。

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GPSログで6.1km歩きました。午後から知人事務所の仕事なので、今回も背広です。

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東筑軒 福間うどん店 - 福間/うどん | 食べログ

株式会社東筑軒 | 折尾名物かしわめし

朝食をとらずに電車に乗ってしまい、JR福間駅に到着し、東筑軒でうどんをいただきます。東筑軒は県内大手の駅弁屋さんで「かしわめし」が有名ですね。

ごぼう天うどんをいただきながら、昼用にかしわめしを買うかどうか迷ったのですが、さすがに背広を着たおっさんが海を眺めながら駅弁なんか食ってたら警察に通報されかねないため、断念しました。

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宮地岳神社バス停の次、宮地団地バス停で下車し、宮地団地・星が丘団地内を歩いて、最初の目的地である金刀比羅神社に向かいます。

ここは以前、知人が宅地を購入する候補地としていたところのひとつで、物色に同行したことがあります。従妹が土地を購入したところも近く、それなりに需要はあるようです。

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金刀比羅神社の入口がみえてきたので右折し、社殿前の階段を登って神社を訪問しました。

この神社がある地名は在自(あらじ)と言い、江戸時代まで荒自とか荒地と書いたそうです。金刀比羅神社は在自山の麓にあり、社殿のすぐ近くに登山口があります。在自山はむかし天蓋山(あまおいやま、てんがいさん)と言ったそうで、たまたま参拝されていた第一村人のかたが言うには「雨乞いですよ雨乞い、雨乞いから「あまおい」になった」「むかしは在自じゃなくて荒地って書いた」とのこと。

よほど水が少ない土地だったのでしょうか。

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そんなことを考えながら途中「参道」の看板がある車道を下っていくと、海がみえてきました。

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参道の途中には「お夏大明神」が祀られています。

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義民「お夏」の由来

打ち続いた凶作は遂に天明の大飢饉を招いた。
にもかわらず、各地には厳重な検見が行われ情容赦もない年貢の上納に迫られて、百姓たちは塗炭の苦しみにあえいだ。
天明三年の秋深く、荒地の郷の下の原には検見場が設けられて、お夏は箕簸捌べ(みひさべ)の大役に選ばれていた。お夏は器用な娘で、女の道は勿論農耕の仕事まで男も及ばぬほど達者であった。
居並ぶ役人の目の前で、怯めず憶せず一心不乱にみごとな箕簸捌べをするお夏の顔にみなぎる異常な決心これを見守る百姓たち近郷近在の村のいのちが賭けられていたのである。
お夏の箕簸捌べは、意外に少い収穫だったので検見役の怒りを買い、お夏は打首の仕置きを受けた。しかしお夏の義侠は、藩主黒田候の心をうごかし、上納米を免ぜられた村人たちは、お夏の義烈を慕って「お夏大明神」として祀った。

幾千代に希望ある身の幸捨て、むらびとすくうなつの箕簸とり

堂字の、お夏の石祠には、「寛政四年建之」と刻まれている。
うら若い身を犠牲にして、農民の難儀を救ったお夏の御霊は、貴船山の丘から昭和三十年三月此処に遷され、村の護りと鎮って此の郷の永久の繁栄を見守っているが、村人たちは此の地を「偲ヶ丘」と名付けて、其の義烈を偲んでいる。

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「ひさべ」とは、屑と籾をわける作業で、不作を証明しようとして検見(作柄の調査)に来た役人の怒りをかい、お夏は打ち首となってしまいます。

いまも税金の取り立ては厳しいですが、当時はいまより収奪のはげしい時代でした。

みなの給料を守るために帳簿の改ざんをやった事務員が公開処刑されるようなものですからね……。奪うほうも必死、守るほうも必死。

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在自から津屋崎に向かう途中、たしかにずっと麦畑でした。いまでも水が少ない土地なのかもしれません。

津屋崎駅跡を探す

西鉄貝塚線 - Wikipedia

西鉄宮地岳線

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2007年3月31日まで、西鉄宮地岳線の津屋崎駅がありました。現在は西鉄新宮駅までに短縮され、西鉄貝塚線と名称を変更しています。

はてなブログ(はてなダイアリー)に引っ越してくるまえ、楽天ブログで数年ほど日記を書いていたのですが、宮地岳線廃止はちょうどそのころでした。廃線前の記念乗車と、運行開始した代替バスの乗車記を書いた記憶があります。

あれから約15年経って、津屋崎駅跡を探すのですが、現地をみてもまったく見当がつきません。

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今昔マップで1970年代の地図と、地理院地図を重ねて参考にしつつ、歩きます。

GPSログをみればわかるとおり、それでも右往左往ぐっちゃぐちゃです(笑)

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津屋崎駅があった場所にたどり着きました。1951年に、宮地岳~津屋崎間の延伸開業が実現したときの記念碑が残されています。

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線路跡は宅地と道路として再整備されていました。

新泉岳寺を発見

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神社めぐりの途中「新泉岳寺」なる看板を発見します。

新泉岳寺/福津市

新泉岳寺の石碑 | にほへと文庫

どうやら忠臣蔵関係の場所らしいのです。

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まさかこんな大規模なものとおもわず、驚きました。

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新泉岳寺

Shinsengaku Temple

渡半島に活洲場(いけすば)を開設するなど、町の観光開発に熱心だった故児玉恒次郎氏が、大正2年(1913年)に創設(建立)した赤穂四十七士の墓です。
福本日南の「義士銘々伝」を浪曲師として有名な桃中軒雲右衛門の語りで全国に広めた児玉氏の功績が認められ、東京高輪の泉岳寺から特別に許可を受け、寺号と47人の義士の墓砂を分霊として持ち帰ったものです。
毎年、12月14日の討ち入りの日には、児玉氏の親族などにより義士祭が行われており、法要やそばの接待が行われています。

桃中軒雲右衛門 - Wikipedia

1903年(明治36年)、桃中軒牛右衛門の名で雲右衛門に弟子入りしていた宮崎滔天や、福本日南、政治結社玄洋社の後援で「義士伝」を完成させる。武士道鼓吹を旗印に掲げ、1907年(明治40年)には大阪中座や東京本郷座で大入りをとった。雲右衛門の息の詰まった豪快な語り口は、それまで寄席芸であった浪曲の劇場への進出を可能にし、浪曲そのものも社会の各階級へ急速に浸透していくことになる。 

福本日南も玄洋社も福岡です。宮崎滔天といえば熊本です。忠臣蔵の大々的普及に貢献したのが九州出身者とは……。泉岳寺にしてみればそりゃあお客様さまでしょうから、この分霊を認めたのでしょう。

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中央に供養塔があり、取り囲むように赤穂浪士の墓が並んでいます。

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大石内蔵助と大石主税のものです。

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誰でも知ってる堀部安兵衛さんもここに眠っています。おもわず手をあわせました。

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天野屋利兵衛 - Kusupedia

天野屋利兵衛【あまのや りへえ】…討ち入りのための武器調達を働いた支援者。堺の北浜一丁目にお店がある廻船(かいせん)問屋。苗字帯刀御免で、本名は松永利兵衛。

「天野屋利兵衛は男でござる」の天野屋利兵衛浮図碑がありました。浮図碑というのはどうやら「供養塔」の意味のようです。

天野屋利兵衛 - Wikipedia

実在の天野屋利兵衛は赤穂藩や浪士と関係のない人物である。

そうなんです。「天野屋利兵衛は男でござる」は、浪曲や時代劇のなかのお話なのでございます。 

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その後、波折神社などを訪問させていただき、津屋崎橋バス停にたどり着きました。

福岡県立水産高等学校

正面に見える白い建物が「福岡県立水産高校」です。

ここで事前に準備した資料を見比べ、2か所ほどめぐり漏れがあるのに気づきました。

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道を引き返して2か所撮影し、津屋崎橋バス停からJR福間駅までバスに乗って戻りました。

東郷神社・福岡県津屋崎

東郷神社 (福津市) - Wikipedia

津屋崎には、東郷元帥を祀る東郷神社をはじめ、まだまだ「神社めぐり」で取り上げるべき場所があります。可能であれば、汗だくにならずにすむ時期に、再訪・再再訪したいものです。

なお、今回訪問したお宮さんの記録は10月下旬に公開予定です。