松村かえるの「かえるのねどこ」

旧「美風庵だより」です。

信仰と神社はべつもの。

4月10日の日録 - 美風庵だより

先日の日記に、コメントをいただきました。

読んでいておもうのは、おそらくこれからも信仰は残るが、神社はほとんど滅びるのではないか、ということでした。

神社めぐりをしていると、旧村社以上の神社で自発的に住民がおカネを出し合い創建されたところは少数です。疫病や水害・干ばつに悩み自発的に勧請した神社をふくめても、1割あるでしょうか。ほとんどは、領主(支配者)が持ち込んだ祭祀です。

福岡県神社誌をデータベース化していますが、「天満」の2文字で検索すると、全体の16%がひっかかります。「天満宮」「天満神社」だらけです。これらのかなりの部分が、安楽寺(現在の太宰府天満宮)領か、領主が信者だったところです。

江戸時代創建のところで、天満大自在天神として疫病退治に引っ張り出されているケースがままありますが、少数です。領主の信仰が、その領主が去った(没落した)後も地域に放り出されているケースのほうが、多く見うけられます。

これはべつに天満宮にかぎった話ではなく、彦山権現(現英彦山神宮)もそうで、彦山の出先 大行事社は高木神社と社号を変更して、現在もかなりの部分が残存しています。これらも、天満宮同様、出先の行政とジモティ教化の場として機能していました。

No.039 水天宮シリーズ ① 水神と牛馬の守護神「荒五郎」 | 宮原誠一の神社見聞牒

また、福岡・久留米の水天宮も、すでに先達のしっかりした研究があります。

元は荒五郎水神を祀る水神様だったものが、平家の落人の里になり平家関係者が合祀され、さらに有馬の殿様がスポンサーとなって大々的に建て替えられるにあたり、有馬公が持ち込んだ天之御中主を中心の祭神に据えてしまいます。

私のような後から来た世代は経緯を知りませんから、数年前まで天之御中主を水神とする信仰があったのだと完全に勘違いしていました。

つまり、初期、第二期、第三期の「水天宮」が存在するのですが、この変遷を理解できないと、ほんとうの姿はみえません。

この「領主が持ち込んだ祭祀で住民を教化する」もっともわかりやすい例は、伊勢の「神宮」です。具体的には、神宮が主導した内務省神社局(国家神道)と、その後身である神社本庁教です。

〈出雲〉という思想 近代日本の抹殺された神々 (講談社学術文庫)

もしかりに、神宮(天つ神)に出雲(国つ神)が再度の敗戦を喫していなければ、神社の姿はまたちがったものになったかもしれません。

 

神道というのがわかりにくいのは、もともと先祖崇拝・自然崇拝だったものが、現在の姿に変化した断絶を、意図的に説明していないことにあります。

「そもそも八百万の神、どこにも神が居る。祖先を大事にしよう、自分が生かせてもらっている自然を大事にしよう」という思想が、いつのまにか「皇室の祖であるアマテラスさんのみな氏子」という唯一神にすげかわっています。

そして、氏子・氏神も、ほんらいなら一族が携えて歩く信仰のはずなのに、神社本庁教が神職が居る神社ごとにエリアを区切り、氏神を定めます。

氏子調 - Wikipedia

氏子調(うじこしらべ)または氏子改(うじこあらため)は、1871年(明治4年)から1873年にかけて明治政府が行った日本の政策である。国民に対して在郷の神社(郷社)の氏子となることを義務付ける宗教政策である。

(略)

また、同政策の施行の直前には戸籍法を施行しており、1区1000戸からなる戸籍区に郷社1つを対応させている

はっきりと「明治維新で神宮が天下をとり寺を破壊し、寺の代わりに神社が住民を管理しようとした名残」で「そのために氏神・氏子の意味をすり替えました」と言えばいいのですが、言いません。

この時代の経緯を知ってから、私は国家神道と神社本庁教は古代史理解の支障になるとすら、考えるようになりました。

 

どう考えても集落に20~30軒くらいしかないのに、やたらと立派な神社があったりします。ほぼ間違いなく旧村社以上の社格を有しています。

こういうところは戦前、改築・修繕に税金が投入されています。

または行政主導でその都道府県市区町村内に奉賛会がもうけられ、強制課金が行われたところもあります。

 

(小林完吾ふうに)あ、さて。

 

国家神道を主導した内務省神社局も神社本庁という宗教法人に格下げとなり、公権力で公金をもちい、課金できなくなったいま、どうなっているでしょうか。

お宮さんのなかには、規模を維持できなくなっているところも多数あります。おそらく今後も縮小・廃絶はつづいていくとおもわれます。なぜなら、公金をつかい課金が強制できるパトロンが存在しないからです。

神宮大麻頒布数・神宮大麻初穂料改定 一覧 | まったりどうでしょう

神社本庁教の本山 神宮にしても、神宮大麻の頒布数はどんどん落ちています。

集金力が落ちているのは、たしかです。それでも、いまだに800万体以上神宮大麻がさばけるわけですから、おそるべき影響力です。

 

ここまで書いてきたのは、あくまでも神社の話であって、信仰の話ではありません。

無格社、もしくはせいぜい村社とされた神社でも、多数の信者を抱えて生き残っているところがあります。むかしなら「流行り神」、いまなら「観光神社」などと言われていますが、ああいうところはたぶん生き残ります。

お宮そのものに客がついているからです。

先日の霊符神社のように、いちどは邪教として取り壊しの憂き目にあいつつも、信者の奉賛で再建されたようなところは、客が居る以上、そうひどい未来にはならないでしょう。じっさい、他県からのこのこ参拝に行く者が、こうして居るわけです。

問題は、元領主の信仰や支配のための出先が、過去の公金投入で維持されてきたようなところでしょうか。

 

神々への信仰はこれからも残っていくでしょうが、そう遠くない将来、「神社本庁教」界は自壊するのではないか。個人的にはそう考えています。