松村かえるの「かえるのねどこ」

旧「美風庵だより」です。

福岡市博多区古門戸町 稲荷神社(沖濱稲荷神社)


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沖濱神社の由来

当社は太平洋戦争中の昭和二十年六月十九日の空襲により、戦災を受けるまでは、光照寿院(弘法大師堂)と共存し、広く博多地区の信仰をあつめていた。古来の伝承によれば、この付近の海岸、澳の浜に、大同元年(八〇六年)唐より帰朝の第一歩を印した弘法大師(空海)が、船旅の疲れを醫すため、しばしまとろんだ処とされている。その節の夢の中で、雲に乗った稲荷大明神が現れ、お告げあり「高野山に弘道の本拠を開くべし」とのことである。爾来当町では境内に「大師衣掛けの松」とて、代々松の木を守って来た。
筑前風土記によると、安永六年(一七七七年)五月二日、町内富山屋仁蔵という酒屋の大桶に星石が落ちたことを報じている。恐らく隕石のことであろう。その石は宝珠石と称し、沖濱神社のご神体として、のちのち信奉されるようになった。後世、二十年毎の式年行事に際しても、白布に包まれた宝珠石は、人の目に触れれば、忽ち盲目になると戒められていた。しかも今日では戦災後行方は不明である。 

現地案内板を読むかぎり、御神体含めて戦後に再建されたもののようです。

福岡県神社誌:下巻379頁
[社名(御祭神)]稲荷神社(保食神)
[社格]無格社
[住所]福岡市古門戸町
[境内社(御祭神)]記載なし。
(2021.10.10訪問)