松村かえるの「かえるのねどこ」

旧「美風庵だより」です。

4月1日の日録

今日からインターネットに復帰します。

雇用契約満了寸前でお仕事ラッシュ・私事ラッシュで帰宅したらとにかく「寝る」生活を数日つづけておりました。とくに昨日おとといは風呂すら入っておりません(笑)。

軽い頭痛すらしています。

しかも健康保険証切り替えで事業所に返却したのに歯が痛いという状況です。

いま病院にかかると10割負担になってしまいます。

しかしともかく、やっとこ今日から解放されました。

今日の運動経路

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今日は、午後からあいさつ回りのため福岡市西区姪浜に出る用事がありました。

午前中、2時間ほどはやく家を出て、姪浜周辺の神社めぐりをしました。

約4kmちょいを、80分ほどかけて歩きました。

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この場所は、旧唐津街道の宿場町・港町として繁栄した地域であり、1933年(昭和8年)に福岡市に編入されるまえは「姪浜町」だったところです。現在はJR・福岡市営地下鉄姪浜駅のあたりが中心部のようになっていますが、戦前の地図だと、中心部は海側(北側)のエリアだったことがわかります。

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マンションが林立するエリアのさらに海側(北側)に足を踏み入れると……、

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旧唐津街道に出ます。この一帯が、もともとの旧市街です。

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亀井南冥 - Wikipedia

亀井 南冥(かめい なんめい、寛保3年8月25日(1743年10月12日) - 文化11年3月2日(1814年4月21日))は、江戸時代の儒学者で、医者、教育者、漢詩人。筑前国姪浜(現在の福岡市)に生れる。諱は魯、字は道載、通称は主水、南冥はその号である。亀門学の祖。 

(略)

同じく1784年(天明4年)、有名な志賀島の金印(倭奴国王印)が発見される。この発見に対し南冥は素早く『後漢書』東夷伝を引用して金印の由来を説明、次いで『金印弁』を著して金印についての研究を行った。

googleマップとゼンリン「いつもNAVI」を見比べながら神社探しをしている途中、江戸時代の有名な学者さんがここで生まれたことを知りました。

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海がみえてきました。

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神社めぐりを終えて目的地に向かう途中、可愛らしい黒猫の看板が目にとまります。

シャノワール(黒い猫)という名前の動物病院のようです。

「そしえて・のわーる」と、ここ数年、この日記では名乗っています。

「黒い会社」という意味です。要は「ブラック企業」のダジャレのつもりなのですが、どうも「ノワール」という響きに親近感を感じてしまいます。