美風庵だより

風にちる 花のゆくえは 知らねども

愛知県豊川市豊川西町 豊川進雄神社


大きい地図・ルート検索  ( powered by ゼンリン地図 いつもNAVI )

f:id:bifum:20210807103329j:plain

f:id:bifum:20210807103436j:plain
f:id:bifum:20210807103715j:plain

現地案内板の「御祭神」欄をみて「進雄命」とあり読めなかったのですが、よく見ると「すさのお」と小さくルビが振られていました。このことから、御祭神がスサノオさんのことだとわかります。

豊川進雄神社 - Wikipedia

文武天皇の治世である大宝元年(701年)、豊川の西岸に牛頭天王を祀って雨乞いの祭祀を行ったことが当社の創始であると伝えられる。村上天皇の治世である天徳元年(957年)に現在地に遷宮した。治承4年(1180年)には、平維盛に仕える平忠度が参拝して戦勝祈願を行った。嘉禎4年(1238年)には、征夷大将軍の藤原頼経が上洛の際に参拝してヒノキを献じたと伝えられる。貞治2年(1363年)には、満良親王が参拝した。
慶長元年(1596年)、領主の池田輝政によって刀一口と馬鞍一対が献納され、家臣の堀尾孫介が社殿を造営した。寛永7年(1630年)、領主の水野佐渡守忠直によって刀一口が献納され、正保2年(1645年)、領主の小笠原忠知によって青銅製六角形釣燈籠が奉納された。正保2年(1645年)には、春日局が参拝した。享保20年(1735年)、領主の大岡忠相によって刀一口が献納され、元文5年(1740年)には釣燈籠一対が寄進された。

小笠原忠知 - Wikipedia

寛永2年(1625年)に書院番頭、翌年12月に大番頭、寛永9年(1632年)4月には奏者番となった。同年9月、兄の忠真が豊前国小倉藩主になったとき、杵築に4万石を与えられ大名に列した。以後、竹中重義改易時の府内藩在番、寛永14年(1637年)の島原の乱出陣と島原城在番などで功を挙げた。藩政においても植林政策に功を挙げている。
正保2年(1645年)7月14日、5,000石加増の上で三河吉田に加増移封された。

案内板に小笠原家の名前が見受けられ、iPhoneで検索してみると、やはり杵築藩小笠原家の移封地でした。意外なところに、九州との縁があって驚きます。

本殿の向かって右脇には、橿原神社と出雲神社があり、名前からして神武天皇と大国主を祀っているのはあきらかです。

社殿向かって左脇にはたくさんの祠が並べられており、画像手前から多賀神社・三峰神社・神明社・鍬神社・駒成神社・満良神社・猿田彦神社・石上神社・諏訪神社・市神社・稲荷神社・秋葉神社・津島神社と有名どころのオンパレードです。

豊川市 - Wikipedia

鎌倉時代になって、鎌倉街道が整備されると、豊川宿として機能した。鎌倉時代の史書では、『海道記』に「豊河の宿」、『東関紀行』に「豊川といふ宿」と記載される。

この地は交通上の要地だったそうで、様々な信仰が勧請されたのも、おそらくはその結果のようです。

f:id:bifum:20210807103859j:plain

境内には「秋葉山」と彫られた灯篭があり、その奥に、むかしは何らかの社殿があったのでは?と思える跡が残っていました。もしかすると、ここに昔秋葉権現も祀られていたのかもしれません。

(2021.08.07訪問)