松村かえるの「かえるのねどこ」

旧「美風庵だより」です。

1月25日の日録

「鶴」をしのんで。

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安いウィスキーの大瓶を買った話ばかり書いてもしかたがないので、ひさしぶりにむかし買ったニッカのシングルカスクを2本引っ張り出してきました。瓶詰めが2006年と2008年なので、そのころに購入したもののようです。

手元にある10本のうち、この「カフェグレーン1992」と「宮城峡モルト1990」が開封済みで、残る8本は未開封のまま押入で寝ています。

買った当時は8,400円~12,600円だったものが、いまやネットオークションで15万円は下らない値段がついています。とてもじゃないが、簡単に封をあけて気軽に飲める時代ではなくなりました。

いい酒は味が濃く、美味いのですが、そのぶんつまみと体調を選びます。酔うための酒ではなく、味わうための酒なので、対話ができる程度に体調がよくないといけません。

今日は、昼から求職活動でしたので、事前に「カフェグレーン」と「宮城峡モルト」を1:1で混ぜたものをつくっておきました。画像右手のペットボトルがそれです。

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帰宅して、パソコンや文庫本を相手にして、冷酒グラスに少し注いで、舐めます。それぞれ単品だと、渋みやタンニンのコク、果実のような香り、オイリーな舌触りなど、様々な要素が押し寄せてくるのですが、混ぜて半日置くだけで、まったく違うシルキーな甘さが現れます。

ニッカ 鶴 余市蒸留所限定品 43度 700ml

むかしながらのニッカ愛好家なら往年の最上級品「鶴」をおぼえているはずです。

こんなに単純ではありませんが、根底はそっくり。おそらく「鶴」は、カフェグレーンと宮城峡のシェリー樽がメインで、そこに余市モルトがアクセントとして乗っていたと推測できます。

いまお金を出して飲めるものなら「スーパーニッカ」が近いのですが、一時期は「鶴」の廉価版っぽい味だったのに、いまのものはどこかアルコールのつよさも感じます。「ニッカらしさ=余市」というイメージがつきすぎてしまったせいか、余市感を出そうとしているのも、どうも気に入りません。竹鶴政孝さんが生きていたら、スムースなものはスムースに、ガツンと来るべきものはガツンとつくりそうな気がするのですが。

それにしても良い酒は、ゆっくり舌の上にのせて、舐めるにかぎります。そして、味がわからなくなったら、さっさとやめられるよう、冷酒グラスのような小さいコップで味わうべきです。若いころならボトル半分あけてもまだ味の品評ができたのですが、もうそんな真似はとうていできません。身体が省エネになったとも言えるのですが、ここは素直に劣化・老化を認めるべきだとおもいます。つよがっても若返りはしません。

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高い酒は冷酒グラス2杯でやめて、あとは安いウィスキーでコークハイをつくって、のんびりたのしみます。こういうのもまた、酒の楽しみというものです。

まぁ、洗うのが面倒だからとコーラに直接、安ウィスキーを加えるのも、お行儀はよくないのですが。

 

日録

午前中、いまの仕事場に行き、昼から、求職活動を兼ねてコロナ感染爆発中の福岡市内に出ました。

最初は自宅からリモートで参加という話もあったのですが、最終的には集まることになりました。

打ち合わせ終了後、福岡市営地下鉄の馬出九大病院前駅からJR吉塚駅にかけて、5社ほど神社めぐりをしました。今回の訪問分は、6月19日から23日に掲載予定です。

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帰宅しようとJR吉塚駅に向かっていると、ちょうどサニーの前で、反ワクチンのかたが演説をされていました。若い男性が拡声器で訴え、ほかの2名がチラシ配りをされていました。咳きこみながら拡声器を握って「ワクチンは危険」「コロナはやらせ」と訴えられても、どうも真実味がありません。

ほえのブログ | ほえのブログ

伊賀 治 デマ撲滅ファクトチェック集|note

新型コロナウイルス感染症について|厚生労働省

忽那賢志の記事一覧 - 個人 - Yahoo!ニュース

私たちは騙されないようにしましょう。ちなみに画像を撮影しているあいだ、彼らのチラシを受け取っているひとは皆無でした。そうでしょうね……。

或る種の恐怖感

自治体システム統一を2025年度に実現 デジタル庁が仕掛ける標準化 | 2022年1月号 | 事業構想オンライン

これまで、都道府県や市区町村ではそれぞれ独自の情報システムを採用し、業務を遂行してきた。「これを統一化、標準化していかないと、国民向けのサービスとして適切なものが提供できない、という危機感のもと、プロジェクトを進めています」と、デジタル庁統括官の篠原俊博氏はいう。
これまで利用されてきた自治体独自のシステムやアプリケーションは、様々なカスタマイズが積み重なっており、ソフトウェアの設計もモジュール化されていない。このため、修正や追加の必要が生じても、柔軟な対応ができない。これは、変化の多い時代に多様な市民に向けたサービスを提供しなければならない自治体にとっては致命的だ。さらに、ある自治体の業務に特化したシステムは、他の自治体と共有することができないので、調達コストがかさむ。組織間でデータを共有し、シームレスな市民サービスを提供することも困難だ。
「これらの問題を解決するために、標準仕様やデータ要件の標準への準拠などを義務化しました。基幹業務システムはカスタマイズさせないという強い意志を自治体と共有したものといえます」と篠原氏は説明する。
(略)
このような、自治体の業務システムの統一・標準化に向けたスケジュールは2020年12月発表の「デジタルガバメント実行計画」ですでに発表されている。2022年度には、ガバメントクラウド上でのサービス提供を前提に、標準準拠システム開発が始まることになっている。そして、2025年度末までには、すべての市町村がガバメントクラウド上に構築する標準準拠システムを利用できるようにする。

20年勤め、当時の実質最高権力者からいじめられて追い出された前の職場は市役所だったこともあり、いまでもこの件について見解を問われることがあります。

これ、市区町村職員にとってはとんでもないパラダイムシフトなのですが、まだ実態がみえていないためか、恐怖感を抱いている職員さんと話すことはめったにありません。このことに、或る種の恐怖感をおぼえます。

これまで、木っ端役人に実際の運用を国は任せてきました。それが標準仕様書を定めるということは、事務フローが国の手で明確化されたということです。つまり、同じ動きができれば市区町村にナショナルサービスを委託する必要はなくなるわけで、法定受託事務という考え方の見直しまで行きかねません。

むろん、全国どこでも国民にたいして同一のサービスを提供し、市区町村ごとの差異をつぶして経済界・銀行業界の無駄な労力を合理化しようというのは、正しいことです。いままでの歩みが鈍牛・鈍亀だっただけで、いずれこの大ナタは必要でした。

それだけ、むかしの私ふくめた木っ端役人の命運を握る重要資料なのですが、とおしで読んだひとは、ほとんどいません。これは驚くべきことです。

まぁ、市区町村の仕事のすべてが国の末端事務というわけではありません。

今回のシステム標準化対象は20業務ですから、それ以外はそれぞれのやり方が残ります。ただ、市場化への大きな一歩を踏み出したのは間違いなく、市区町村職員のみなさんは、各省庁が作成した標準仕様書をはぐりながら、その覚悟はもっておいたほうがよいとおもいます。