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2021年7月4日は朝から、地元町内会で管理しているお宮の清掃奉仕でした。
参加されていた年配のかたに、戦前の地図の鳥居マークの話をしたところ、旧県道側から不動の滝に向かい、その先に庚申塔があったという話をいただきました。
お宮掃除を終えて、自宅の用事を済ませ早めの昼食をとって、秋月に出かけました。
県道66号の旧道側におそるおそる進入し、河内集落に向かう道との分岐点に駐車しました。路肩が崩れて石が落ちてきており、しかも通行止めの看板まであります。
ここはむかし新八丁越に向かう街道だったところです。
現在は九州自然歩道の一部として整備され……
と書こうとしたら、どうやら県道66号本道のほうが指定されているようです。いつのまにか、むかしの道は指定から外されていました。とは言っても、一部には江戸時代の石畳も残っており、雰囲気満点なので、天候に問題がなければこちらをおススメしま……
と考えていたら、電柱がナナメを向いています。こういうところが、通行止めになっている理由でしょう。危険なので、どうしても通るときは注意して歩くようにしてください。
寛政(1789年~1801年)の末期に不動明王が安置されて「不動の滝」と呼ばれるようになったとのこと。街道沿いの休憩所・名所として、むかしは流行っていたのかしれません。
御堂のなかを拝謁すると、不動明王にお榊が供えられていました。
滝を見上げると、現在の県道66号のガードレールが見えます。10年、この道を通勤で往復してきたのに、ぜんぜん気づきませんでした……。
さらに河内集落のほうへ進んでいくと、舗装路が途切れ、昔ながらの石畳が顔を出します。意外と滑りやすく、注意が必要です。
集落が見えてきました。家はそれなりに手入れされていますが、ひとの住んでいる気配はありません。
民家の道を挟んで反対側が一段高い丘となっており、そこに年配のかたに教えてもらったとおり庚申塔がありました。しかし、ここが戦前の神社の跡地だとするなら、地理院地図とずいぶん離れています。さすがに無理があるようです。
今昔マップ on the web:時系列地形図閲覧サイト|埼玉大学教育学部 谷謙二(人文地理学研究室)|Leaflet版
石段に腰かけてあらためて戦前の地図をチェックしていると、どうも川を渡る道があることに気づきました。この街道のほかに、脇道があるようなのです。
集落内を行きつ戻りつしていると、畑の横にミョウガがえらく自生している里道らしきものを発見しました。先に進んでいくと、田畑の一部が崩落して行き止まりになっていました。ただ、石垣と横を流れる川の様子から、むかしはちゃんとした道だったのだろうということは充分に察することができました。
今回の場所は元街道沿いながら、洗い越しになっている場所がいくつかあり水が豊富なため、苔むして滑りやすく、よく下を見て歩かないと沢ガニを踏み潰すおそれがあります。久しぶりに、歩くのに気を使いました。
(2021.07.04訪問)