松村かえるの「かえるのねどこ」

旧「美風庵だより」です。

朝倉郡東峰村小石原鼓 高木神社(大行事神社)


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むかしから場所は知っていたのですが、訪問するのはたぶん子供の頃以来だと思います。

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鳥居をくぐって石段をずっと登ってもよいのですが、ここは軽トラが入れるくらいの舗装路があり、そちらから境内に入ることができます。石段ではなく、今回は車道を歩いてなかに入りました。

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拝殿の裏手に本殿があり、正面向かって右手に、神饌所があります。

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ここは流しが据えられており、住民(氏子)が神社に集まったときの直会(酒食)に使われていました。いまは物置と化しているようです。

現在も行われているのかどうかは知りませんがこの近所では「おこもり」という、かしわ飯を食いながら日本酒を呑んでひと晩過ごす行事がありました。

本家筋の集落では「ふくっちゃま(福智山)」という御堂に、各世帯の主とその後継(たいてい長男)が集合し、深夜まで過ごしたものです。

御堂の灯りはロウソクと灯明が用いられていました。灯明というのは、なたね油を芯に吸わせて火をともすものです。電気が引かれていないため、原始的な照明に頼らざるを得なかったのですが、すでに各世帯は電気による照明が当たり前の時代でした。

懐中電灯で夜道を歩いていき、ロウソクと灯明で午前様まで過ごす集まりは、それだけでも幻想的で、子供ながら非日常の世界が楽しかったのを覚えています。

おそらくここも、同様の使われ方をしていたのではないでしょうか。

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拝殿内には大きな絵馬がいくつもかかっています。

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昭和7年(1932年)に、伊勢神宮参拝記念に御神鏡を新製奉納したようです。

「高倉」(たかくら)さんの名字の由来、語源、分布。 - 日本姓氏語源辞典・人名力

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「高倉」姓はこの地域に顕著にみられる姓で、研究家は旧嘉穂郡庄内町(現飯塚市)の高倉が発祥ではないかとしています。実際には、県内だとうきは市や東峰村に多く見られ、長い年月のうちに各地に移動していったことが、みてとれます。

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帰りは、手入れが行き届いているとは言い難い石段を下ります。落ち葉の多い石段は、つるりと滑りやすいため、注意が必要です。

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石段をおりると、境内社とおぼしき御堂が3つ並んでいました。画像は撮れていませんが、正面左手の2つ並んだ御堂(薬師堂・大師堂)の左脇に、猿田彦の石碑もあります。福岡県神社誌に境内社の記載はなく不明ですが、右側のまだ新しめの御堂が気になります。

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境内社と鳥居をすぎると、害獣除けの柵がありました。集落までは、昔ながらの山道です。おそらく、石段の上り下りはこたえますから、こちらはあまり利用されていないのではないかという印象をうけました。

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最初に撮影した鳥居の足元に、石造りの御神橋があるのに気づきました。おそらく戦前か戦後すぐくらいまでは、住民も多く念入りに整備されていたのでしょうが、次第に維持が困難になっている印象をうけました。長期的には、消え行く運命にあるのかもしれません。

福岡県神社誌:中巻42頁
[社名(御祭神)]高木神社(伊弉冉命、伊弉諾命、高皇産霊命)
[社格]村社
[住所]朝倉郡小石原村大字鼓字東
[境内社(御祭神)]記載なし。
[摂社(御祭神)]記載なし。
[末社(御祭神)]記載なし。
(2021.06.14訪問)