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1772年(明和9年)7月20日の豆田の大火に類焼して縁起や古記録を失ったため、詳細な由来は不明。この地域で古くから信仰されていた社が、宝永年間(1704年 - 1710年)に現在地に遷座したものと考えられている。1864年(元治元年)に描かれた広瀬本豆田町古絵図には「山本院」に付属して「祇園社」とある。
1714年(正徳4年)に山鉾の奉納を始め、これにより隈八坂神社および竹田若八幡宮との3社による日田祇園祭の原型が整った。現在の曳山行事は、当神社と中城お旅所の間を概ね環状に巡行している。(略)
境内社
稲荷社(大宮売神、保食神、猿田彦神)、天満社(菅原道真公)、月読社(月読神)がある。


wikipediaでは天満宮、お稲荷さん、月読社があることになっていますが、現地はどう見ても、えびす様、お稲荷さん(の石碑)、月天子の石碑です。だいぶ違います。
細長い境内をぐるりと一周しても、お宮らしきものはありません。
正しくは月天子で、月天はその略称。月宮天子、名明天子、宝吉祥との異名もある。月やその光明を神格化した神で、勢至菩薩の変化身ともされる。四大王天に属し、月輪を主領して四天下を照らし、また多くの天女を侍(はべ)らし、五欲の楽を尽くし、その寿命は500歳といわれる。
五欲とは、「美食」「セックス」「名声」「カネ」「睡眠」のことですから、酒池肉林で500歳まで極める……。なんか月読命(大山祗)とは相いれないような……。
(2021.06.13訪問)