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保元二年九月二十四日鎮座、明治五年十一月三日村社に被定。祭神久那戸神は同大字字汐井掛原へ塞神社として祭祀ありしを明治四十三年一月二十日明細帳脱漏神社神社編入合併許可、祭神菅原神は同大字字上小路無格社天満神社として祭祀ありしを同四十三年二月七日合併許可。
祭神須佐之男命は同大字字上小路無格社須賀神社として、同高丘見神、倉丘見神は同大字字萩野無格社貴船神社として、同大字字沼口無格社天満神社、同大字字四郎丸崎無格社天満神社として菅原神を祭祀ありしを同四十四年五月四日合併許可同一祭神は合霊せり、祭神日本武尊は字萩野に無格社萩野神社として祭祀ありしを大正十五年八月十二日許可を得て合祀せり。
福岡県神社誌の由緒を読むと、どうやら7社統合されているようです。
境内にある複数のお宮や石祠は、どうやら合祀の際、境内に移築されたもののようです。
石祠背面の石板に、直接菅公が彫り込まれた天満宮をみたのは、初めてかもしれません。
保元2年(1157年)に建立ということで、先に訪問した宮若市山口の山口八幡宮が延喜2年(902年)建立ですから、おそらくはその分社だったのではないかと思われます。つまり、こちらは原型どおりの社号を現在もとどめているわけです。
拝殿に、なかなか年季の入ったお神輿が置かれていました。いつの時代のものでしょうか。
照明器具に隠れて表からはよくわからなかったのですが、拝殿から下りる際、御神紋が桔梗(ききょう)紋?ぽいことに気づきました。八幡宮でこれはいったい……。
福岡県神社誌:上巻285頁
[社名(御祭神)]若八幡宮(応神天皇、神功皇后、武内宿禰、久那戸神、菅原神、須佐之男命、高丘見神、倉丘見神、日本武尊)
[社格]村社
[住所]鞍手郡山口村大字沼口字都地
[境内社(御祭神)]記載なし。
[摂社(御祭神)]記載なし。
[末社(御祭神)]記載なし。
(2021.06.06訪問)