美風庵だより

風にちる 花のゆくえは 知らねども

宮若市山口 伊久志神社




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福岡県神社誌には、「伊久志神社」という聞きなれない社号の神社が2社掲載されています。

1016 無格社 伊久志神社 鞍手郡山口村大字山口字伊久志
1017 無格社 伊久志神社 鞍手郡山口村大字山口字小原

今回、近くに「小原集会所」があったことから、小原集落の伊久志神社と比定しました。

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ただ、社殿向かって右脇に真新しい石祠があり、その横に「伊久志」と読める扁額があることから、おそらくここに統合されているのかもしれません。

問題は「伊久志明神とは誰か?」という点です。

宗像大社 公式ホームページ | 宗像大社と関係ある周辺神社

伊久志神社(矢房神社境内社) 宗像市日の里3-11-3
いくしじんじゃ
[祭神] 伊弉諾命・伊弉冊命
御縁起に百八神の1つとして「伊久志明神」と見えます。安政年間に東郷の矢房神社の境内社として移祀された記録が有ります。伊久志とは50串のことで、祭祀の際に50串を立てて神祭りをしたことに因むものと考えられます。

どうでしょう。これが正解とはとうてい思えません。

天伊岐志邇保命:玄松子の祭神記

『先代旧事本紀』によると、 饒速日命は十種の神宝をもち、三十二人の防衛、五部人、五部造、天物部等二十五部人、船長という多数の随伴者を従えて天降ったとある。
邇芸速日命の天降りに随伴した三十二人の防衛の一人。
山代國造等の祖。高魂尊の後裔。

いろいろ調べていると、どうやら伊久志明神とは、天伊岐志邇保命(あめのいきしにお)のことらしいのです。饒速日命(にぎはやひ)の別名は、猿田彦、山幸彦、五十猛命と数々ありますが、どうやらその超大物の彼が引き連れた部下の一人が、伊久志明神として祀られています。

その饒速日命の関係者と一緒に祀られているのが保食神とあり、お稲荷さんとも豊受姫とも大宮女(おおみやのめ)とも呼ばれる天細女(あめのうずめ)のことです。

そして、これまでこの日記で書いてきたとおり、饒速日命と天細女(あめのうずめ)は夫婦であった時期があります。ふたりの子が宇摩志麻遅命(うましまじ)です。

ウマシマジ - Wikipedia

邇芸速日命が那賀須泥毘古の妹である登美夜須毘売[1]を娶って生んだ子で、『先代旧事本紀』では天香山命(尾張氏の祖)が異母兄であり、彦湯支命の父であると伝える。
『先代旧事本紀』によれば、始め那賀須泥毘古に従っていたが、神武天皇の東征に際して那賀須泥毘古を殺し天皇に帰服し、以後自らの部族である物部(もののべ)を率いて皇城守護の任に当たったという[2]。また『旧事本紀』によれば、神武天皇即位の後、饒速日命の遺した10種の天璽瑞宝(あまつしるしのみづたから)を献上し、それを使って天皇と皇后の魂を鎮める呪術を行ったとされ、これを後世の鎮魂祭の初めとしている。

となれば、推論する方向はふたつしかありません。

(1)伊久志明神とは、じつは饒速日命本人のことであり夫婦を祀る神社である。

(2)宇摩志麻遅命と母 天細女を祀る神社である。

 高良玉垂宮神秘書では、高良玉垂命(藤大臣、阿部相凾:あべのしょうかん、開化天皇)は、饒速日命の子 鵜葺草葺不合命(うがやふきあえず)から神器を継受して即位したとされています。この両者を比較すれば、饒速日命(とその子 鵜葺草葺不合命)から神器を継受したのが誰かという争いがあったことがわかります。

果たしてこの伊久志明神とは、誰なのでしょうか?

福岡県神社誌:下巻398頁
[社名(御祭神)]伊久志神社(保食神、伊久志明神)
[社格]無格社
[住所] 鞍手郡山口村大字山口字小原
[境内社(御祭神)]記載なし。
(2021.06.06訪問)