松村かえるの「かえるのねどこ」

旧「美風庵だより」です。

宮若市金生 白山神社


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この日、いちばん訪問したかった神社でした。

当社は宮郷最初の鎮座にして其年月詳かならざれども宝永の記録に依れば千二百有余年を経過せり而て天正年中毛利輝元神殿造営せられたり、其後は国主黒田家より屡々造営せらる、又社僧十五ヶ寺附属し御神幸及御宮座式等行はれて盛大の御社なりしが悉く廃せられ纔に御宮座式のみ現存す、明治五年十一月三日村社に定めらる。上宮は明細帳脱漏に付編入の儀願出明治三十七年八月十日許可を受く。
菅原神は同大字天満神社として又玉依媛命も同大字内に宝満神社として祭祀ありしを明治四十一年十月十九日合祀許可
(略)
又古老の諺に曰く、加賀国より此の霊場に御鎮座の時、水莖の岡湊にしばらく駐輦まして、当郡倉久の里を歴て此の所に移し奉る故に其の所にも御社ありしとかや云々。
(略)
当村及宮田村の内恵原千石原産神なり。所祭伊弉冊命泉道守神菊理姫命の三神なり。

福岡県神社誌の説明文の一部を引用しました。

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この古老の説明どおりだとすると、現在の芦屋(岡湊、崗之水門)から宮若市倉久を経て、この地に鎮座したことになります。

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なお、芦屋町部の神社の位置を検索すると、白山神社はたしかに存在するようです。しかし、宮若市倉久には春日神社の記録しかなく、古老の話とは食い違っています。

むしろ重視すべきは、「宮郷最初の鎮座」の部分でしょうか。若宮八幡宮日吉神社(山王宮)といった、後の支配者が連れてきた神社よりも、古くから存在するらしいのです。これをまともに受け取り「所祭伊弉冊命泉道守神菊理姫命の三神」と併せて考えれば、この白山神社の性格が見えてきます。

榊森神社の歴史・由緒

事解男命(コトサカオノミコト)
日本書紀に登場する神。イザナギが黄泉国にイザナミに逢いに来た際、互いにある約束事を交わした時に、発した言葉から生まれた神様。
菊理媛神(ククリヒメノカミ)
菊理媛神(ククリヒメノカミ)は【加賀(石川県)の白山市(しらやまし)】に鎮座する白山神社に祀られる白山比咩神(しらやまひめのかみ)と同一神とされています。
神産みで伊弉冉尊(イザナミ)に逢いに黄泉(よみ)を訪問した伊弉諾尊(イザナギ)は、伊弉冉尊(イザナミ)の変わり果てた姿を見て逃げ出した。しかし泉津平坂(黄泉比良坂 よもつひらさか)で追いつかれ、そこで伊弉冉尊(イザナミ)と口論になる。そこに泉守道者が現れ、伊弉冉尊(イザナミ)の言葉を取継いで『一緒に帰ることはできない。』と言い菊理媛神(ククリヒメノカミ)が何かを言うと、伊弉諾尊(イザナギ)はそれを褒め、帰って行った・・・とある。菊理媛神(ククリヒメノカミ)が何を言ったかは、書かれておらず、また、出自なども書かれていない。

事解男命:玄松子の祭神記

死んで黄泉国にいかれた伊邪那美神を、伊邪那岐神が追っていったところ、すでに伊邪那美神の遺体は腐ってうじがたかり、遺体の各部に八雷神が生まれていた。
古事記』や『日本書紀』本文では、伊邪那岐神は慌てて逃げ帰ったと記されているが、一書には、穏やかに「もう縁を切りましょう」と言い、「お前には負けないつもりだ」と言って唾を吐いた。その唾から生まれた神が速玉男命。次に掃きはらって生まれた神が泉津事解之男。
掃きはらったことや、事解の神名から事態を収拾させる神、絶縁の神と思うが、よくわからない。

この件、イザナギイザナミが離婚した際、イザナミ側で縁切りの交渉役をしたのが事解男命=泉津道守者と考えると合点がいきます。そして、菊理姫命はイザナギ側で縁切りの交渉役をしたと考えるべきです。

この事解男とは誰かといえば、イザナミの兄である金山彦ですし、菊理姫命は天之御中主の別名であり、彼女は大幡主(博多のお櫛田さん、速玉男、天穂日命)の長姉です。

つまり、御祭神に天穂日命が居れば、熊野神社であってもおかしくありません。

白山信仰と熊野信仰の近さは感じてはいましたが、宮若市金生で、「イザナギイザナミの離婚協議中」と「イザナミ再婚後」の違いなのだと、やっと読めてきました。

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櫛田神社

櫛田神社の御神紋「三つ盛亀甲に五三桐」によく似た御神紋が彫られているのも、これでなんとなく理解できます。

しかも福岡県神社誌には、境内社として天穂日神社があるとあります。

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期待して境内を見回ってみましたが、鳥居のある境内社はどうやら須賀神社のようです。ほかの石祠を拝謁させていただくと、龍神の御札があったりするのみで、どれがどれかもわからない状況でした。

https://ymkr-okurimono.sakura.ne.jp/mountain/mnt/m815.html

白高00

どうやら自分が訪問したのは下宮のみで、さらに上宮があったようです。

また再訪して、きちんと調べる必要がありそうです。

福岡県神社誌:上巻278頁
[社名(御祭神)]白山神社伊邪那美命菊理姫命、泉津道守者命、菅原神、玉依媛命
[社格]村社
[住所]鞍手郡若宮村大字金生字鬢鏡(幸崎)
[境内社(御祭神)]須賀神社須佐之男命)、貴船神社貴船大神)、疫神社、天穂日神社、高祖神社
[摂社(御祭神)]天満神社菅原道真公)
[末社(御祭神)]記載なし。
(2021.05.29訪問)