松村かえるの「かえるのねどこ」

旧「美風庵だより」です。

11月19日の日録

19日、朝2時間だけ仕事に出て、葬式に行きました。

以下、人物が特定できない範囲でボヤかしながら書くことをお許しください。

私は学生のころ、吹奏楽部で太鼓をたたいていました。そのときの部長が1学年上のTさんでした。

ムーPLUS

「月刊ムー(いわずとしれたオカルト雑誌)」の愛読者で、UFOだのノストラダムスだの妙なもんをまにうける特殊人物の側面はあったものの、それ以外は至ってまっとうな人物でした。

私個人はあまり交流はなかったのですが、同じ部活のOBという関係で共通の知人はとうぜん居ましたし、他のOBの皆さんとLINEグループをつくって登録していました。

8月のお盆過ぎになって、「検査のため入院する。退院したら連絡する」旨のLINEが届き、どこか悪いのか?と思ってはいましたが、私よりもっと近しい人物とのやりとりがはじまったので、眺めるだけで放置していました。

同じくOBのSさんから「T氏逝去通夜本日開始時場所後報」とショートメッセージが入ったのが18日の3時すぎでした。ここ数年のTさんとの接点はLINEグループくらいしかなかったので読み返してみたのですが、8月の検査入院の話題以降、本人の書き込みはありません。いったい何があったのか……。

10時ごろに通夜の時刻と場所の知らせが届き、通夜の前に或る料飲店に立ち寄るようにも書かれていました。

(通夜の前に0次会じゃなかろうな?どういうことだ?)

わけがわかりません。とまれ、なにかあるのだろうと、定時で仕事場を出て、指定された料飲店に向かいました。

自分の略礼服は16日にクリーニングに出しているため、途中、親せき宅に立ち寄って1着借りました。いまどきありえないくらい樟脳の匂いがしますが、仕方がありません。

そこにはOBの見知った面々が居ました。Oさんという、OBであり、かつ、Tさんからみてハトコになる男性も居ました。どうやらこの集会はこのひとに関するものらしいと、参加して数分で気づきます。

検査結果が出て、Tさんは嫁さんの挙動を不審に感じ「正直に言え」とせまったそうです。嫁さんが白状した結果を聞いて「みっともない(みじめな)姿をさらしたくない。入院していることは口外するな」と厳命したとのこと。検査結果が出る前に病院を訪問していたOさんも呼ばれ、同様に厳命されたとのことでした。

ひとりで看病できず、のちに嫁さんは自分の妹に白状して手伝ってもらうことにします。この時点で本人含め4人だけが、手遅れということを知っていたということになります。

この集会は、Tさんに近しいOB達から「なぜ言わなかった。最後に会いたかった」とOさんを吊し上げるためのものでした。お互いのやりとりを聞きながら、どちらの味方もしにくく、黙ってしまいます。

私もどちらかと言えば、よぼよぼの死にかけの姿なんて他人に見せたいとは思いません。闘病でやせ細った姿なんて、嫌です。そうなるまえにどこかから飛び込んで、魚の餌にしてもらうか、山で骨になったほうが、ましです。

とはいえ、最後に声を聞きたかった、話したかったというのも、人情でしょう。

Tさんが余命いくばくもないと聞いていれば、自分も病院に顔を出したかもしれません。私がそう思うのですから、もっと近しい彼らは、必ずそうしたはずです。

お通夜の時間が近づいたのでおひらきとなり、そのまま全員でお通夜の会場に向かいました。

私たちとは別に、嫁さんと嫁の妹も親せきから吊し上げられていたようです。嫁さんの両親が「お前は間違っている。ひととしておかしい。おれがそんな人間に育てたと思われる」と娘2人に説教しています。

 

ひさしぶりに後味のわるいお通夜から戻って、休業中の個人事務所の電子申告と電子納税をしたあと、寝ました。

5時ごろ起床して、どうも不安です。坊さんがすでにスタンバイしているのをそっちのけで、嫁さんの親が嫁に「ひとでなし。恥ずかしい」と説教ぶっこいているようなお通夜です。本葬でもなにかひと波乱ありそうな気がします。

行く予定はなかったのですが、仕事場を2時間で引けて、差し入れに途中のスーパーでお菓子とサラダ巻きを買い込んで、葬式場に向かいました。

OBのなかに同じことを考えたひとがもう二人居て、彼らも来ていました。

葬式の前に駆け付けた者は、私ふくめて、どちらかといえば近しくなかった者ばかりでした。

「悲しみをどっかにぶつけないと、やっていけないんですよね。交通事故だったら轢いた犯人がみんなの憎しみの対象になるけれど、今回は、Oとか、黙ってたひとたちが悪者になっちゃってる。身内の側にはけ口が出来ちゃうと、こんな感じですよ。おれも去年、身内の葬式で似たようなことがあって。でも、上手くないですよね。白状してもTさんに叱られれば済むだけだけど、律儀に黙ってたら、自分らがこれだけ責められるって想像しなかったのかなぁ」

「嫁やOが考えているよりもずっと、Tが好かれていたというだけでしょ」と、私は返事をしました。

はじまる前にこんな会話を交わし、どうなるかを見守ります。

葬式はどうなることかと思いましたが、お通夜とうってかわって静かに終わりました。

さすがに火葬場までついていく気もなく、借り物の略礼服を脱いで袋につめ着替えて、三人でラーメン屋で15時近くになって昼食をいただき、解散しました。

 

youtu.beヴィヴァルディ:協奏曲集<四季>

アルビノーニのアダージョ - Wikipedia

帰宅してからひと眠りしてこの日記を書いています。

ずっと「アルビノーニのアダージョ」を聴いていました。

なんだかんだ言ってこのカラヤン指揮のものが最高だと感じます。