美風庵だより

風にちる 花のゆくえは 知らねども

宮若市水原 若宮八幡宮


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福岡県神社誌の記述をざっと読んでから訪問しました。以下に一部を転記します。

養老年中鎮座若宮郷(古名山田之山)十四ヶ村産土神にして当郡の宗社也鎌倉氏より社領三百二十町余寄附有之、不詳、明治五年十一月三日郷社に定めらる。
社説に述ぶる所次の如し、養老二年の鎮座、水原金丸、原田福丸、金生、高野、倉久、岩野(長井鶴の内)、萩野(沼口の内)、恵比(稲光の内)の産土神にして鞍手郡総社なり。文治三年鞍手郡を領地として寄進せられ、弘安年中鎌倉より神領三百余町の寄進あり、又正平十一年正月十一日洪鐘の寄進あり。永享十二年防州大内政弘神殿再建し、天文中大内義隆神殿楼門再建、寛永九年黒田匡成社殿を造営せしが大風の為め転覆せしを以て同十四年黒田高樹公より再建せらる。其他弘安八年禁制を下し神事の條々を定められ、天正九年十二月宗像大宮司氏貞より願文を以て神殿を再建し、元禄元年鞍手郡総社為る可き旨被達、享保十四年郡奉行より自今年々掃除夫の寄附あり、黒田藩主よりの崇敬不浅時々年拝相成、又代参を立てられ祈晴雨祭等必ず当社に於て行はる。

養老2年(718年)の創建であるということ以外は、歴代の支配者に重要視され庇護をうけてきたことくらいしか、わかりません。

尾張造 - Wikipedia

現地を訪問して気づくのは、翼廊の配置といい縦に伸びた拝殿といい、一瞬、尾張造かと疑ってしまう社殿の配置です。厳密には異なるのですが、似ていることはたしかです。

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八幡宮の扁額よりも手前に、祇園山笠の札が掲げられています。思わずここはスサノオさんが祀られているのかと、iPhoneに保存した福岡県神社誌のPDFファイルを確認したほどです。

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車寄せがあり、外に出られるようになっています。もしかすると過去に回廊があった痕跡なのかもしれませんが、祭神は人間であることを示している可能性があります。

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拝殿内に達筆の由緒書きが掲げられていました。基本的には福岡県神社誌の記述と同じです。読み進めていくうちに、境内社が福岡県神社誌とまったくちがうことに驚きました。こんなことがあるのでしょうか。資料の混同?

 

若宮八幡宮という社号と御祭神の顔ぶれから考えれば、まず武内宿禰は高良玉垂命を上書きした姿であり、最初は仁徳天皇が中心で、両親(高良玉垂命と神功皇后)を祀る一種の玉垂宮であったと考えてよいと思います。のちに玉垂宮から衣替えせざるを得なくなり、応神天皇を足して八幡宮としたのが、現在の姿です。

由緒書きでは福丸日吉神社を御神幸の仮宮とするとあります。読んでいて気になったのはこの点で、私たちが理解する仮宮への御神幸ではなく、新たな支配者(山王宮・日吉神社)への挨拶だったのではないか、と思うのです。福丸日吉神社の境内には祇園社があります。

画像を撮影し損ねましたが、境内には山笠が江戸時代から続いている旨の案内がありました。

八幡宮の扁額前に多数奉納された山笠の札は、旧支配層の拠点と(若宮八幡宮)、新支配層の拠点(福丸日吉神社)の力関係が江戸時代には逆転していたことを、示しているとみてよいのでしょう。

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それでも解けないのは、境内社が福岡県神社誌の記述と1社をのぞいて別物と言う点です。資料の混同でしょうか……。

福岡県神社誌:上巻256頁
[社名(御祭神)]若宮八幡宮(応神天皇、仁徳天皇、神功皇后、武内宿禰)
[社格]郷社
[住所]鞍手郡若宮村大字水原字仮屋
[境内社(御祭神)]酒解神社(木花咲哉姫命)、大日留女神社(大日霊貴命)、住吉神社(底筒男命、中筒男命、表筒男命)、春日神社(天児屋根命、齋主神、比売命)、厳島神社(宗像三神)、齋藤神社(齋藤家の祖先)
[摂社(御祭神)]記載なし。
[末社(御祭神)]記載なし。
(2021.05.29訪問)