2週ほど前、有期雇用契約が3月末で終了する?という話がありました。もともと雇用された事業がひと段落ついて、半期ごとひとが減っていましたから、致し方無い話ではあるのですが。


知人の誕生祝を送るついでに、自分にも楠森堂の緑茶を購入してみました。
製法がよいのか、在来種そのもののちからなのかよくわかりませんが、ここのお茶はどれも味が濃く出ます。茶葉の量はよその茶園の半分くらいにして淹れるのがよいようです。
私はむかしから緑茶より紅茶で、緑茶のよい飲み手ではありません。それでもさすがに濃く出るか香りが立つかどうかくらいは、わかります(笑)
緑茶をいただきながら、年賀状にむけて字のけいこをしました。
昼から、入れ替えた神棚のお札を納めに、高良大社に行くことにしました。
車でさくっと行ってもよかったのですが、どうせなら運動することにします。
今回は短く、8kmあるかないかの距離でした。歩数もapple watchの記録で15,000歩ほどです。
車を利用しない場合、久留米に出るには電車しかないため、西鉄久留米駅1階のやりうどんで、今日も肉うどんをいただきました。画像の撮影日時をみればわかるとおり、すでにこの時点で13時を過ぎています。


路線バスが遅れてなかなか来ず、予定していた御井町バス停に立ち寄る便に乗れませんでした。ひとつ離れた「紫山住宅前」バス停で下車します。
学生のころ、コンビニに立ち寄るため、この道をよくとおっていたのを思い出します。


この道、突き当たると高良下宮社に出ます。
いつのまにかこの道が旧薩摩街道であることを示す案内板ができていました。現在の国道3号線の前身にあたる道のひとつです。この御井町中心部は「府中宿」と呼ばれていました。「府中」の名は、ここに筑後国府があったことによるものです。いまでこそ久留米の中心市街地は久留米城下から西鉄久留米駅にかけての一帯ですが、元々は、この高良山の麓一帯が、筑後の中心部だったのです。
御井小学校と高良大社の大鳥居が見える位置までやってきました。御井小学校のところに、府中宿の本陣(殿様や幕府役人専用の宿)があったそうで、往時は相当賑わっていたことでしょう。


吉見岳コースの登り口は2つあります。ひとつは以前紹介した良山中学校付近から高速道路をくぐった先にある場所で、もうひとつは、御井寺の裏手です。今回は、御井寺の裏手の石段を登って、吉見岳コースから高良大社を目指します。


お堂にたどり着きました。ここから高良山に向けて尾根を歩きます。


いたるところに墓が点在しています。御井寺の墓地なのかもしれません。通称が「吉見岳コース」だと学生のころは知らず、「墓道」と勝手に名付けていました。墓が点在する地区を抜けると、3日にも訪問した吉見岳の展望所に到着です。


久留米市街を一望できる場所です。
ここでのんびり休憩したかったのですが、そうはいきません。高良山茶屋の営業時間は15時までです。あそこで今日もうどんを食わねば……。
曲輪跡の展望所には、新しい案内看板が整備されていました。琴平神社にあるふるい案内板は「吉見嶽」でしたが、新しいほうは「吉見岳」です。これにならって、今回の日記から「吉見岳」と記載することにしました。


3日、下っているときは気づかなかったのですが、登ってみると、ただの坂ではなく、元は石段だったことがわかります。途中からコンクリートの階段が整備されているのですが、踏みしろが大きすぎて歩調が合いません。どういう意図でこれ整備しちゃったんでしょうね……。
高良山茶屋の建物が見えてきました。建物の突き当りで左折すると、高良大社の(現在の)三の鳥居があります。
一直線の石段は歩くのがつらく回避するため、この日記ではいつも旧参道、車道、遊歩道側から境内に進入していました。ちゃんと立派な参道があるのです。けっしてお間違えの無きよう。
今日も、肉うどんとお稲荷さんをいただきました。やさしい味のすめ(澄め:スープ)は、毎日でも食える味です。いまでこそこんなことを書いていますが、学生のころは夏場にところてんを食いに来ていただけで、わざわざここで軽食をとったことはありませんでした。齢をとったのですかね……。
今回は、旧参道側から境内に入ることにします。消防署の訓練が行われている道は、現道が出来る前の車道だったそうです。現在は、正月などの多客期に渋滞緩和用の一方通行路として使われているくらいでしょうか。


石段がゆるやかなため、いまの参道よりはるかに登りやすく感じます。


持参したお茶(今朝届いた楠森堂の煎茶です)を飲んで休憩し、古札を納めたあと、神社をお参りしました。


知人に先日の画像を見せたところ、これは桜で間違いないようです。冬桜と総称される秋冬から咲きはじめる品種があるそうで、春に満開になるのはほかとかわらないとのこと。品種にもよるがせいぜい秋冬のあいだは3分咲きくらいで、その季節はずれ感を楽しむ由。


お参りを済ませ、今回は尾根コースでつつじ公園に向かいます。いつも利用する北面コースや奥の院コースと比べて、尾根コースがいちばん山登り感があるのは、ところどころにロープが渡してある場所があるからでしょうか。


途中、住厭城跡で休憩します。尾根道だけあって風が吹き抜け、気持ちよく感じます。


尾根コースの起終点で、耳納スカイライン(という名の車道)と合流します。
奥の院(奥宮)の鳥居がみえてきました。今回はこのまま奥の院へ向かわず、つつじ公園の売店に向かいます。


途中、小郡と筑前町の境界にある城山(じょんやま:花立山)と、古処山がみえます。


つつじ公園の売店に到着しました。自販機でコーヒーを1本買い求め、駐車場側に移動します。野良猫がじっと座っており、近づいても動く気配はありません。どうやら左前足がよくないふうに見受けられます(歩けないわけではなさそうです)。野良猫を背景に、甘木・秋月・古処山地方面を1枚撮影してみました。


この日、いちばんまともに撮影できた紅葉は、このもみじでした。この先100mほどのところから右折し、奥の院コースで高良大社まで戻ることにしました。


案内板もある歩きやすい道が整備されています。
奥の院(奥宮)にお参りしていたら、女性の集団がパンフレットらしきものを持って現れました。どうやらパワースポットめぐりの御一行に見受けられました。


左折して奥の院コースに入り、1kmほど歩くと旧参道に出ます。つつじの遊歩道を下ります。
高良山茶屋脇の石段をこんどは下り……、


久しぶりに阿志岐坂コースで下山することにしました。途中の分岐を右に行くと、妙見神社から王子池に抜けるオルレコースで、こちらは正式な登山道として案内されているうちのひとつです。今回の阿志岐坂コースは、地理院地図には掲載されていますが、ほぼ廃道同然となっています(そこをわざととおるとは……)。


現在は荒れ放題となっているものの、切通しなど、骨格のしっかりしたなかなかの道であったことはおわかりいただけるかと思います。
2000年に久留米大学の負担で久留米大学前駅ができるまで、青の経路(阿志岐坂コース)が観光案内にも掲載されていました。地図をみればわかるとおり、駅からもっとも近い経路だったからです。ところが、久留米大学前駅開業後、この経路は案内から姿を消し、御井町バス停前を通過して、表参道に向かう道(赤線)が案内されるようになりました。


民家が近づいてくると、あちこちが崩落しており、まさに廃道化しています。入り口は舗装されているため、なんとかわかりますが……。たしかにこの道を再整備するより、駅開業にあわせてほかの道を案内するようにしたほうが、ラクではあったと思います。
住宅地のなかに、ほぼ廃道が元は正式な参道だったのだという証拠の鳥居が残っていました。
先日、練香の販売再開の知らせがメールで届き、薫主堂さんに注文した分が到着しました。あわせて匂い袋がどんなものか興味があったので、こちらも注文しました。
匂い袋は、以前なにかの折にもらった絵皿にのせて、トイレに置くことにしました。