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福岡県神社誌によれば、大永7年(1527年)に問註所親照が諏訪神社を勧請したとあります。
彼の居城 井上城があった場所の麓に、戦の神様として建御名方神(たけみなかた)を勧請したというのは、話の筋もとおります。
それにしても境内からの眺めがよく、杷木から甘木方面までしっかり見渡せます。
この立地も、戦の神ににらみをきかせてもらうために選んだのかもしれません。
境内にはいくつも石祠があり、なんとか八幡宮と彫られているのが読めるものが1つと、「産土大神」と彫られた石碑が読めるだけで、あとは誰をお祀りしているものなのかが、わかりません。
また、御神牛の石像らしきものがあり、福岡県神社誌を確認すると、戦前に同じ地区内の天満宮2社合祀したとのこと。いずれかの天満宮に祀られていたものを移設したのでしょう。
手水舎のまわりを取り囲むように神池が掘られていました。もしかすると元々は神池を手洗い場に使い、のちに手水舎を増築したのかもしれません。
なおこの神社、こじゃれたお店が建ち並ぶ坂を登って行くと裏口にたどり着きます。googleマップに案内されるまま裏口から入りましたが、休日のためかマスクをして坂道を歩くかたを多数見かけました。
福岡県神社誌:中巻261頁
[社名(御祭神)]諏訪神社(武御名方神、大山祗命、菅原道真公)
[社格]村社
[住所]浮羽郡御幸村大字流川字大門
[境内社(御祭神)]景清社(景清)、松尾神社(少彦名命)
[摂社(御祭神)]記載なし。
[末社(御祭神)]記載なし。
(2021.05.01訪問)