美風庵だより

幻の花 散りぬ一輪 冬日の中

うきは市浮羽町山北 加茂神社(賀茂神社)再訪


大きい地図・ルート検索  ( powered by ゼンリン地図 いつもNAVI )

f:id:bifum:20210425101710j:plain

福岡県神社誌には「加茂神社」とありますが、現地の表記は「賀茂神社」となっています。

f:id:bifum:20210425101607j:plain

御祭神は、神日本磐余彦尊(かむやまといわれびこのみこと)、賀茂建角身命(かもたけつのみのみこと)、玉依姫命(たまよりひめのみこと)、賀茂別雷命(かもわけいかづちのみこと)とあります。

福岡県神社誌より一人増えていますが、おそらくは上加茂神社・下鴨神社の記載に合わせたものでしょう。

まず、神日本磐余彦尊は、本物の神武天皇ではなく、崇神天皇のことです。

賀茂建角身命 - Wikipedia

別名には八咫烏、八咫烏鴨武角身命(やたからすかもたけつのみのみこと)、三嶋湟咋(みしまのみぞくい)、三島溝咋、三島溝耳神(みしまのみぞくいみみのかみ)、陶津耳命(すえつみみのみこと)、陶津耳、天日方奇日方武茅淳祇(あまひがたくしひがたたけちぬつみ)がある。
山城の賀茂氏(賀茂県主)や葛城国造の始祖であり、賀茂御祖神社(下鴨神社)の祭神として知られる。
『新撰姓氏録』によれば、賀茂建角身命は神魂命(かみむすびのみこと)の孫である。

賀茂建角身命とは、大幡主(博多のお櫛田さん、神皇産霊神)の子で、高木大神・天照大神の娘婿である豊玉彦(豊前坊、思兼命)を指します。

賀茂別雷命 - Wikipedia

賀茂建角身命(賀茂御祖神社の祭神)の娘の玉依姫(同じく賀茂御祖神社の祭神)が石川の瀬見の小川(鴨川)で遊んでいたところ、川上から丹塗矢が流れてきた。
それを持ち帰って寝床の近くに置いたところ玉依姫は懐妊し、男の子が生まれた。これが賀茂別雷命である。
(略)
なお、賀茂別雷命の出生についての話と同様の話が『古事記』(大物主神と比売多多良伊須気余理比売)や『秦氏本系帳』(阿礼乎止女と大山咋神)にもあり、特に後者の話と混同されて、「賀茂別雷命の父は松尾大社の大山咋神である」とする話も流布している。

つまり、賀茂別雷命とは、大山咋と玉依姫の間に生まれた崇神天皇その人なのです。

すると、父親である大山咋を祀る日吉神社が一段高い古墳の上に祀らているのも納得がいきますし、王朝簒奪を正当化した日本書紀において、神武天皇に背乗りした崇神天皇が豪勢な社殿で祀られているのも、不思議ではありません。

以前訪問したときは、さすがにこのあたりの関係を理解できておらず、かなり頓珍漢なことを書いてしまいました。反省して懺悔するほかありません。

賀茂神社 (うきは市) - Wikipedia

当社の行直大宮司が慶安4年(1651年)に誌した旧記には、
賀茂大神は最初にこの地に天降り鎮座され、神武天皇が日向から大和へ御東遷のみぎり、宇佐から山北へ来られ賀茂大神は八咫烏(やたがらす)となって御東幸を助け奉られたので、今も神武天皇と賀茂大神を奉祀する
と述べている。
境内では縄文土器、石器、群集石棺群などが出土している事から鑑みこの旧記が有る真実を伝えているものと考えられる。
賀茂神社社家の初代は、武内宿禰(たけうちのすくね)(孝元天皇の曾孫)19世 波多臣広庭(はたのおみひろにわ)の後裔、波多次郎救家の嫡男 久家和州 としている。(熊懐氏参照)

すると、一族のルーツとなる土地に、あらためて祀り直したのが、この賀茂神社と日吉神社だということになるのです。そして、その祭祀を行う熊懐氏は、武内宿禰の後裔とされています。この武内宿禰は、高良玉垂命を表に出せないときに使われる仮託先としての武内宿禰ではなく、おそらくは本物の武内宿禰でしょう。

そうであれば、母方をたどれば豊玉彦につながり、いわば「一族の墓守」としてこの地を守る(守らせられる)理由もたちます。

もしこれが高良玉垂命の仮託先としての「武内宿禰」であれば、恐ろしいことに、縁もゆかりもない新しい支配者の墓守を延々と押し付けられてきたことになってしまいます。さすがにそれはないと信じたいのですが……。

f:id:bifum:20210425101431j:plain
f:id:bifum:20210425101507j:plain

鴨川を模した水路に手洗い場があり、手を洗うためにしゃがむと、しじみがいっぱいでした。

f:id:bifum:20210425101355j:plain

水路には、水神様もお祀りされています。

おそらく、再建を繰り返すうちに、京都の上加茂・下鴨を模すようになっていったのだと思われます。

f:id:bifum:20210425101207j:plain

社殿には葵の紋が彫られています。葵紋はいろいろとバリエーションがあるのですが、基本的に現王朝(現皇室)につながる一族が使っていたものと考えてよいでしょう。

過去の訪問記録

うきは市の隈上正八幡宮と賀茂神社(1) - 美風庵だより

うきは市の隈上正八幡宮と賀茂神社(2・終) - 美風庵だより

----------------------------------------
福岡県神社誌:中巻213頁
[社名(御祭神)]加茂神社(神武天皇、玉依姫命、加茂別雷命)
[社格]郷社
[住所]浮羽郡山春村大字山北字宮ノ下
[境内社(御祭神)]天満神社(菅原道真)、五穀神社(保食神、稲次正誠)、琴平神社(崇徳天皇)、猿田彦神社(猿田彦神)、秋葉社(軻遇突智命)、稲葉社(保食神)、春日社(天児屋根命)
[摂社(御祭神)]日吉神社(大山祗神)、三次神社(景行天皇、菅原道真)
[末社(御祭神)]記載なし。
(2021.04.25訪問)