美風庵だより

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うきは市浮羽町山北 日吉神社(三王宮)


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賀茂神社 (うきは市) - Wikipedia

日吉神社(山王神社)
建久7年(1196年)9月 宮司家初代波多久家和州が日吉神社を近江国坂本の日吉大社から勧請した。宮の前古墳の墳丘上に建てられている。裏手には賀茂神社古墳群がある。

加茂神社を見下ろす場所にあります。境内には石祠が複数あるのですが、ある石祠の前で、足が止まりました。

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後ろに、熊が居ます。「来るな!」と言わんばかりに、こちらをにらんでいます。

熊懐氏 - Wikipedia

元弘元年(1331年)8月、後醍醐天皇は山城国笠置山で挙兵した。この時初代・久家から数えて8代目にあたる波多臣平右馬行景(はたのおみひょうまゆきかげ)は、後醍醐天皇の呼び掛けに応じて笠置山に参集した(元弘の乱笠置山の戦い)。
元弘元年8月27日(1331年9月29日)後醍醐天皇は笠置山に入られた。9月1日、天皇の御座近くに熊が侵さんとしたが誰も止める者がいなかった。行景はこれを退治し抱いて天皇に献上した。
後醍醐天皇は、「熊を懐し〔いだきし〕猛き武士〔たけきもののふ〕」とお褒めの言葉と共に、熊懐の姓と梶の葉紋を授けた。
「笠置山君が御狩に先立ちてあら熊懐く猛きもののふ
家の名にあはせて傳ふあら熊を懐きし人のその手力も 」(源建辿)[2]
翌9月2日には幕府軍が笠置山に攻め入ってきているので戦いの準備の物音に驚いて熊が出てきたものと思われる。
これより熊懐平右馬太夫波多宿祢行景[注釈 9](くまだきひょうまだゆうはたのすくねゆきかげ)と称した。[注釈 10] 行景は後醍醐天皇の勅命を受けて宮方に属し戦った。南北朝の長い戦いの中、浮羽の地域に希望の光を生みだそうと後醍醐天皇のご遺詔に従い正平元年(1346年)に山城国愛宕郡より賀茂上下大神を奉遷し生葉郡山春村に賀茂神社を建立。行景が初代大宮司となった。

この熊の置物、どうやらこの伝承にもとづくもののようです。

加茂神社の敷地内にある神社とみなされていますが、元は古墳の上に建つ日吉神社が先だったことがわかります。

日吉神社が大山咋を祀る神社であり、大山咋の子 崇神天皇を祀るのが加茂神社という関係を考えれば、不思議な組み合わせではありません。

この点は、次回、加茂神社の項目でまとめて触れたいと思います。

福岡県神社誌:下巻423頁
[社名(御祭神)]日吉神社(大山咋神)
[社格]無格社
[住所]浮羽郡山春村大字山北字宮ノ前
[境内社(御祭神)]記載なし。
(2021.04.25訪問)