7つの仏教法人に送った質問状「霊魂は存在すると考えるか?」否定派の意外な"言い分"(プレジデントオンライン) - Yahoo!ニュース
お盆の入りに迎え火を焚いて故人を迎え、送り火であの世へと戻ってもらう……お盆は日本に欠かせない夏の年中行事だ。ジャーナリストで僧侶の鵜飼秀徳さんは「あまり知られていませんが、霊魂の存在に関して日本の伝統仏教界において捉え方がまちまちです。その存在を否定する宗派は意外に多い」。7つの宗教法人に対して送った霊魂の存在の認否に関する「質問状」への回答で書かれていた内容とは――。
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浄土宗の場合は宗門として霊魂の存在を明確には認めていない。臨済宗や曹洞宗などの禅宗系も、浄土宗のスタンスと似ている。それでも浄土宗の場合はまだ、霊魂の捉え方に関して寛容なほうだ。
浄土真宗に至っては、霊魂そのものの存在を否定している。
他方、真言宗や天台宗、日蓮宗は明確に霊魂の存在を認めている。それらの宗派に属する僧侶は躊躇なく、鎮魂、除霊、加持祈祷といった作法を行う。
実家は、浄土真宗のお寺と真言宗のお寺に墓地があります(納骨堂は浄土真宗の寺のみ)。
戦前、現在の実家がある場所に在った、本家筋のお寺と墓地を継承しているためです。
子供のころ、周囲からは本家筋の長男が夭逝したので親族で話し合い曾祖父が継いだと聞かされました。
そんなある日、まだ小学生だったと思います。
近所のおっさん(故人)から「本家の当主は結核を苦に首を吊った」「だからわざと家を継いでいない。お前のところは新家(しんや:分家のこと)と自分で呼んでるだろ?」とも聞かされました。そう言われると本家当主の死因を教えてもらった記憶はなく、おそらくこれが真実なのでしょう。
その後さすがにお寺掛け持ちは面倒だということになり、私が大学生のころ、真言宗のお寺の納骨堂だけ引き払いました。高校を卒業する年に曾祖父は亡くなっており、なぜ墓地はそのまま残したのか尋ねようと思えば祖父に訊くしかなかったわけですが、その祖父は話したがりません。
近所のおっさんの「本家の当主は首を吊った」という話を思い出し、縁起でもないからおそらく同じ墓にしたくないのだろうと勝手に推測して、現在に至っています。
それにしても、真言宗のお寺と浄土真宗のお寺に縁があると、同じ仏教を名乗るのが不思議なくらい、違うのに戸惑います。かたや「なんまいだぶ」と唱えていれば、成仏できる仏教ですし、もう片方は、山伏のかっこうをして護摩焚きして水子供養と悪霊退散ですから、別物です。いちばん両極端な宗派を掛け持ちしていると言ってもよく、このあたりが、仏教とはわからぬもの、という感覚から抜け出せない理由かもしれません。
お盆もよくわからなかった行事のひとつです。
片方のお寺では「なんまいだぶ」と唱えていれば誰でも成仏できますと教えます。
もう片方でも四十九日で成仏し新たな生を受けるわけです。六道輪廻ってやつですね。
すると、お盆に戻ってくる魂とは誰なのか?と疑問を抱きます。
仏になったり生まれ変わったりした者が、寄ってくるはずはありません。他人の身体から抜け出してご先祖様がやってくるなら、町中、ほぼ気絶者だらけになってしまいます。草木も枯れ、動物も動かなくなるでしょう。
さすがにこれはおかしいと感じ、中学のころ、ある尼さんに話したことがあります。そこで出たのが「これまでの行いにふさわしい場所がなければ生まれ変われない」「待っているあいだがある」ということ。この尼さん、私に僧侶になりたければ高野山で密教を学べと言っていたくらいですから真言宗のかたなわけですが、それなら私たちがお盆をいとなむのも、理由があると思ったものです。
急にこんな話をなぜする気になったかというと、私、常日頃から「死んだら散骨して欲しい」と複数名にお願いをしています。そのなかのひとりから「散骨すると成仏できないらしい」とLINEが来ました。それをどこで訊いたのか質問すると「テレビで●●が言っていた」と霊能タレント?(占いタレント?)の名前を出して返事がきました。
まだテレビを使ってこういう商売やる輩がいるのかと、暗鬱たる気分になります。
或る有名占い師が、テレビで先祖供養が足らないと客を罵倒しつつ、裏で仏壇屋や墓石屋と組み、えぐい商売をやっていたのは有名な話です。あれからすでに20年以上経ち、二番煎じが何名も登場しましたが、なかには裁判で負けたものも出ました。彼女らの本家に負けず劣らずのえぐい商売が、白日の下にさらされました。
こんな輩を信じるほうがどうかしているのですが、「なんまいだぶ」と唱えていれば誰でも成仏できると教えたり、日ごろの行いと修行で仏になれるかどうか決まる、といった手垢のついた話をしても視聴率なんて稼げるわけがありません。
どうしても目立ったもの勝ちになります。こればかりはしょうがありません。
親鸞聖人「私が死んだら、賀茂川へ捨てて魚に与えよ」の真意 | 1から分かる親鸞聖人と浄土真宗
親鸞聖人は、常に仰っていたお言葉として、親鸞聖人の曽孫の覚如上人の『改邪鈔(がいじゃしょう)』に記されています。
親鸞、閉眼せば、賀茂河にいれて魚に与うべし。
(略)
覚如上人は、『改邪鈔』に、その真意を書かれています。これすなわち、この肉身を軽んじて、仏法の信心を本とすべき由をあらわしまします故なり。これをもって思うに、いよいよ葬喪(そうそう)を一大事とすべきにあらず。もっとも停止すべし。
(意訳)
皆、肉体の葬式ばかり考え、それを教えているのが仏教だと思っているが、そうではない。仏法の信心を最も重く見るのが仏教である。
親鸞聖人の教えのほうが、はるかに重要であり、真意をついています。
現代では鴨川に死体遺棄するわけにはいきませんし、防疫対策で火葬しないといけませんが、せめて散骨して、自然に還ることはできます。もしかすると、多少は灰分で肥料となることもできるかもしれません。
2021年横浜市長選:開票結果 | カナロコ by 神奈川新聞
横浜市長選挙の結果を眺めていて気付くのですが、自民党が分裂してなかったら、おそらく勝ってました。スガーリン、まともな軍師が居ないんですね……。