大きい地図・ルート検索 ( powered by ゼンリン地図 いつもNAVI )
社殿はむかしのものを活かし、拝殿だけ改築されたもののようです。
高木神社という名称は明治以降の呼び方で、それ以前は大行事神社(だいぎょうじじんじゃ)と呼ばれていました。大行事神社は、彦山神領であることを示すとともに、神領を守護するように配置されています。
明治43(1910)年に書かれた「英彦山神社在昔(ざいせき)神領内四十八箇所大行事神社安置所在地由緒」によると、大行事社は神領内に48ヶ所あり、①彦山内の重要地点を守護するもの、②豊前国内の彦山末の主要山岳を守護するもの、③彦山麓の重要地点を守護するもの、④彦山神領内の村を守護するものの4つの種類があるとされています。
福岡県神社誌には、この四十八大行事社のひとつであった旨が記載されており、弘仁年間(810年~824年)に創建されたとの記述があります。福岡県神社誌の「建造物」欄には「神殿、中殿、拝殿、社務所」とあるため、戦前はずいぶんと立派だったと推測できます。
福岡県神社誌:下巻209頁
[社名(御祭神)]高木神社(高皇産霊神、栲幡千千姫命、少彦名命)
[社格]村社
[住所]田川郡大任村大字大行事字福田
[境内社(御祭神)]保食神社
[摂社(御祭神)]記載なし。
[末社(御祭神)]記載なし。
(2021.03.06訪問)