大きい地図・ルート検索 ( powered by ゼンリン地図 いつもNAVI )
福岡県神社誌では、承久年間(1219年~1222年)の創建とされています。
元は白土村天神山にあったものの、応永5年(1398年)の大友氏による岩石城攻めで焼け落ち、現在地にて再興したとあります。つまり、これがどうやら現存する元宮のようなのです。
イチイガシの実をむかし食べたことがありますが「あく抜きしなくても食べられる」というわりにはそのまま殻をとって口に放り込むと渋く、そこまで美味いものではありません。電子レンジで加熱して、渋皮をとって塩をまぶして食うと、渋みを感じなくなります。
境内にブロンズ像があり、どうやら元帝国議会の代議士のかたを顕彰するもののようです。境内の裏手には石祠がありましたが、福岡県神社誌に記載がないため、わかりません。
小笠原藩の統治下ならもっと特徴的な建築様式になりそうなものですが、パッと見てまるでお寺のようです。ここも境内の広さが気になるところで、もしかするとむかしはいろいろな建物が建ち並ぶ大きなお宮だったのかもしれません。
福岡県神社誌:下巻206頁
[社名(御祭神)]菅原神社(菅原神)
[社格]村社
[住所]田川郡大任村大字大行事字無田山
[境内社(御祭神)]記載なし。
[摂社(御祭神)]記載なし。
[末社(御祭神)]記載なし。
(2021.03.06訪問)