美風庵だより

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朝倉郡筑前町山隈 菊池武光公太刀洗之碑


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逆光で読めないと思いますが「菊池武光太刀洗之碑」とあります。

菊池武光 - Wikipedia

南軍は高良山に陣を敷き、対する少弐軍は筑後川右岸の味坂に軍を進め、ここに史上名高い筑後川の戦い(大原合戦・大保原合戦)の幕が切って落とされた。
この合戦は菊池軍4万、少弐軍は6万の兵力を擁したと伝わり、まさに九州の合戦史上最大の戦いとなった。この合戦では、7月19日に菊池勢が筑後川を渡河したのを機として、少弐勢が大保原に退いて以降一進一退の攻防が続いたが、8月7日に両軍の主力が激突する大激戦となった。この日の激戦は、南軍の総帥である懐良親王が3ヶ所の深手を負うほどであったが、武光をはじめとした南軍諸将の奮戦もあってこれに勝利した。少弐勢は総大将・頼尚の子息・少弐直資が戦死したのをはじめ、2万以上の死傷者を出し大宰府へ敗走、一方の菊池勢も武光の甥である菊池武明や一族の赤星武貫らが戦死し、こちらも多くの死傷者を出したため、これを追撃する余力は無かったといわれる。なお、この戦いの後に、傷ついた武光が己の太刀についた血糊を小川で洗った事から「太刀洗」(現福岡県三井郡大刀洗町)の故事が生まれたと伝わる。この他、筑後川古戦場付近には「大将塚」、「千人塚」、「五万騎塚」などこの時の合戦に由来する地名が数多く残されている。

 ここから自転車で数分の三井郡大刀洗町山隈に「大刀洗公園」があり、そこに菊池武光公のブロンズ像が設置されています。

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朝倉郡筑前町山隈三井郡大刀洗町山隈だけでなく、じつは小郡市山隈もあります。むかしはひとつの地域だったものが、江戸時代に秋月藩領の山隈村・久留米藩領の山隈村に分立し、さらに明治の町村制成立のとき、現在は小郡市(旧立石村)の山隈と、大刀洗町(旧大刀洗村)の山隈に分かれます。

大刀洗町太刀洗駅があるわけではなく、太刀洗飛行場があるわけでもない。わかりにくい」と、若い方から言われることがあります。明治22年(1889年)、御原郡高樋村、上高橋村、今村、鵜木村、山隈村、下高橋村が合併して「大刀洗村」となったことから想像できるように、要は広域地名を、合併に際して或る地域だけが専称しちゃったために、起こった混乱なのです。

このあたり、八女郡羽犬塚町が「筑後市」、八女郡福島町が「八女市」、夜須郡夜須町・三輪町が「筑前町」となって、広域地名を自分のものにしてしまった関係と似ています。そういえば、嘉穂郡嘉穂町なんてのもありましたね……。

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どうしても古い資料と現在の地名の関係が理解できないとき、このホームページにたいへん助けられています。ほんとうに便利な時代になりました。