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秋月航空灯台跡を訪ねて

 秋月航空灯台跡を訪ねて(2021.07.18本稿)

航空灯台 - Wikipedia

航空灯台(こうくうとうだい)は、航空機の夜間飛行、計器気象状態における飛行の際、航路の示標に用いて安全を期するために設けられる灯台である。

世のなかには、飛行機の運行を支援するための「航空保安施設」というものがあります。そのなかでも、灯火(明かり)により目印を提供するもののひとつが「航空灯台」です。

戦前の航空灯台

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この朝倉市付近にも、むかし「秋月航空灯台」がありました。

とはいえ、なにかの折に話題として聞いた程度で、具体的にどこかまでは、知りませんでした。

 

CJNの九州低山そうつ記

陣尾00

以前から登山経路の参考にさせていただいているCJNさんの「九州低山そうつ記」に「陣ケ尾」が掲載されています。三等三角点のある山です。

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基準点成果等閲覧サービス

いずれ訪問してみたい山のひとつだったので、登山記録を参考に眺めていたところ、なにやら鉄塔を切り倒した跡地が掲載されています。

高圧鉄塔の経路ではありません。これはいったい……。

 

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今昔マップ on the web:時系列地形図閲覧サイト|埼玉大学教育学部 谷謙二(人文地理学研究室)|Leaflet版

別件で朝倉市秋月の高内集落について調べるため「今昔マップ」を確認すると、そこには「航空灯台」の文字があります。

(やっと見つけた)と喜んだのは言うまでもありません。

なんと、航空灯台は涙坂から登った先の陣ケ尾にあったようです。

 

18日、「陣ケ尾」三角点と秋月航空灯台跡を訪問してみることにしました。

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18日の行程はこんな感じでした。車の駐車位置が妙なことになっているのは、当初の予定では秋月航空灯台跡地から涙坂へ直接、徒歩道で下山することにしていたためです。

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県道66号を現道に付け替えた際、旧道の一部がチェーン着脱場となっています。そこに駐車させてもらいました。この県道66号は、白川集落までしか道路改良されておらず、そこから甘木側は1.5車線道路のままです。とてもそんな道幅のせまいところに厚かましく駐車するわけにはいきません。

県道66号の改良工事が行われていたのは、まだ私が若いころでした。現在の夜須高原・泉河内方面・秋月方面の三差路は、全面通行止めにして切通しをやり直しその土で盛り土したもので、工事屋さんにUターンを命ぜられたのでよく覚えています。

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旧道は、こんな感じだったと記憶しています。

走りやすくなった現道の脇に、お地蔵さんの祠がありました。登山の安全を願って手をあわせます。

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一直線に改良された現道から2か所、ほとんど見落としそうな感じで旧道が顔をのぞかせています。今回、20年ぶりに旧道に入ってみることにしました。車ではおそろしくて入れませんが、徒歩ならなんとかなるでしょう。

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この離合もろくに出来ない道が戦前につくられた旧道です。すっかり荒れており、ひとや車が通った気配はありません。再び現在の県道に戻ります。

f:id:bifum:20210718082356j:plain朝もやが立ち込め、晴れてはいるものの空気はじめっとしています。じっとりと汗をかく一日になりそうです。

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県道をいったん離れ、瀬畑集落に入ってみることにしました。前の仕事場時代、この県道を10年間ほぼ毎日往復していましたが、瀬畑集落に入ったことは数えるほどしかありません。

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ここには現在、定住者はいなかったはずです。

みなさん筑前町ほかに移住されており、農作業のため通勤されています。

この日も陣ケ尾から下山してくると、福岡ナンバーや久留米ナンバーの車が県道の路肩に停まっていました。刈払い機の音が複数しており、どうやら各地から集まって、集落の手入れをする日だったようです。

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瀬畑集落を出て、左に曲がり、瀬畑ため池を目指します。

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瀬畑ため池の前には軽自動車が停まっていました。こっそり魚釣りにでも来ているのかと思っていたら、チェーンソーの音が軽く響いていました。どうやら山の手入れをされていたようです。

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瀬畑ため池は、戦前の地図にも記載があります。どうも明治から大正にかけて築造され、その後、平成になって改修をうけたもののようです。

朝もやが立ちこめるなか、陣ケ尾のほうを1枚撮影してみました。

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瀬畑林道はよく管理されており、歩きやすい道です。ここで地図を見誤り、手前の作業道に入り込んでしまいました。

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道そのものは歩きやすかったのですが、どうもGPSが示す位置がどんどん地図から離れていきます。周囲を見回すと、植林のあいだから別の道が見えたため、間違ったことに気づき、引き返しました。

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あらためて右折しなおし、さきほど植林のあいだから見えた道をすすみます。それにしても、そんなに通行量があるとも思えないのに、なかなか手入れされている道です。いつも崩壊しまくっている道ばかりでしたから、これは意外……。

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そんなことを考えていたら、目の前に池が現れました。樫畑ため池です。堰き止めるための築堤がそのまま林道となっています。放水口から流れ出る水を眺めていると、水面からボチャン、ボチャンと音がします。どうやら相当大きな魚が複数生息しているようです。

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ため池から水田と太陽光発電所が見えます。朝もやが立ちこめる場所では、太陽光発電もそこまで効率よくないと思うのですが、休耕地利用ということなのでしょう。

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どうやらため池の管理道として手入れされていたようで、樫畑ため池を過ぎたとたん、道が荒れてきます。地理院地図とGPSを確認しながら左折すると……。

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橋が崩落していました。災害で壊されたのでしょうか。通行止めを示すポールと一緒に、標識まで倒れていました。誰かのイタズラかと思ったのですが、おそらく通行させないためわざとやっているのかもしれません。

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橋は落ちているものの、すぐ脇に踏み跡があります。画像ではわかりにくいかもしれませんが、靴の踏み跡やオフロードバイクの轍もあって、意外と通行があるのだと気づき、驚きました。

この後もオフロードバイクの轍は各所で見かけることになるのですが、倒木もそこそこあるのに、どうやっているのでしょうか?倒木を避けて、迂回する道がべつにあるのでしょうか?

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途中、林道が出来た当初はちゃんと役目をはたしていたであろう案内板の残骸を発見しました。錆びて塗装がはげ落ち、なにが書いてあるかまったく視認できません。こういう案内板はたいてい、現在地と地図が書かれているものと相場は決まっていますが、断定はしないことにします。

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瀬畑林道終点の標識があるほうに右折し、ここからまず新八丁越を目指して登ります。

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車輪が通る場所を一段高く舗装し、中央を下げることによって、おそらく雨水から路肩を守ろうという意図があったのでしょうが、両側から雑草で浸食され、舗装が機能しているとは言い違い状況です。途中、完全に崩落しているところや倒木があります。とはいえ、道がわからなくなるほどのものはなく、休憩をとりながらゆっくり登っていきます。

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八丁峠から伸びる林道との交点にでました。地図では丁字路なのですが、どう見てももう一本、道があります。歩くことはしませんでしたが、おそらく新八丁越の支道ではないか?という気がします。

秋月藩成立後、秋月街道が城下を東西に貫通するのを嫌い、八丁越を付け替えて現在の新八丁越が出来ました。旧八丁越がふたたび使われるようになったのは、明治に入ってからとのこと。

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新八丁越が何故この経路になったのか経緯はわかりません。ただ、これまで登ってきた新しめの林道では砂地質が多かったのに、新八丁越に入ったとたん赤土質の地面が増えたところをみると、のちのちのメンテナンスを考えて、崩れにくい場所を選んだ結果なのかもしれません。

そもそも、秋月藩じたいが参勤交代は白坂越えから長崎街道を利用しており、秋月街道は重視していませんでした。

秋月藩蔵屋敷遠賀川下流の芦屋(のちに現在のJR黒崎駅付近に移転します)にあり、そこで鉄などを仕入れて秋月まで運んでいました。(多少遠回りでも)傾斜がゆるく運びやすい経路をとる必要があったのです。

これは、飯塚から嘉穂郡桂川町土師地区~旧筑穂町君ヶ畑地区を経由して秋月まで行く旧白坂越えと、嘉麻市大力地区から秋月までの旧八丁越・新八丁越を歩き比べるとわかります。

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朝倉市秋月の高内集落にむかう新八丁越と、陣ケ尾に向かう林道の分岐点にさしかかりました。県営林の標識が建っています。現地で見るかぎり、高内集落に向かう道は車が通れそうな道なのですが、GPSと地図が示す分岐点は、植林の合間を抜ける経路です。

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どちらが正解かは、実際に歩いて確かめるよりほかはなく、後日の宿題としたいと思います。

陣ケ尾に向かって歩いていると、次第に地面が湿ってくるのがわかります。これまでの経路は乾いた地面が多かったのに、どこかから川が流れる音もします。

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ふと一面緑色の場所に出ました。フキが群生しています。フキは湿った場所を好みますから、どうもこの一面、水気の多い土壌のようです。

それでも、ひとが一人歩けるくらいの幅はフキが生えておらず、ここを歩くひとがいることを示しています。どうやらそれなりに登山客は居るようです。

もうフキを食用に出来る季節は過ぎかけています。ゴールデンウイーク前なら、山菜採りが楽しめるかもしれません。

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フキの群生を超えて、陣ケ尾三角点にいちばん接近した場所に出ました。

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歩いていて気付いたのですが、ここも轍があります。車なら2本並んでいないといけませんが1本なので、オフロードバイクの跡だとわかります。

カバーの一部らしきものが落ちており、しかも新しいので比較的最近のようです。それに、ジョージアの空き缶が2つ落ちています。ここで休憩したのでしょうか。持って帰ればいいのに……。

それにしても、これをよじ登るのは至難です。

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もう少し取り付きやすい場所があるはずと歩いているうちに、坂のなだらかな場所に出ました。ここから尾根づたいに陣ケ尾三角点を目指します。

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三角点の標識はまだ新しいように見えますが、根元が腐って折れていました。拾って、三角点の近くに寄せ、三角点を撮影してみました。

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三角点からほんの2mもないところに、コンクリートの土台が4つ見えます。

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一部、雑木の枝でわかりにくくなっていますが、コンクリートの土台と、鉄骨を切断した跡があります。

おそらくこれが、秋月航空灯台跡でしょう。

この山頂は、じつは朝倉市秋月ではありません。嘉麻市泉河内です。おそらく正確には泉河内航空灯台とでも呼ぶべきなのでしょうが、知名度を考えると、秋月ということになったのでしょう。

近くに腰掛けて、カロリーメイト1箱と持参したコーヒーで軽食をとります。
気温の高い時期は、腰からぶら下げた蚊取り線香が燃え尽きるまえに山を離脱しなければなりませんので、ゆっくりのんびりしていられません。蚊取り線香はなかなか効果があり、あぶやハチのたぐいも寄り付きません。殺虫成分を忌避しているのではなく、煙がいやなのだと思います。

それにしても現地を実際に訪問してみると、謎に突き当たります。

灯台である以上、灯火のための燃料が必要です。重油軽油かはしりませんが、そのまま燃やして明かりとするか、発電機を回して電気を得なければ、明かりはつきません。

今回歩いた、瀬畑林道・新八丁越からの経路は、戦前の地図にはないものです。もしかすると、給油路として存在していたのかもしれません。ただ、表向き地図に載っているのは涙坂からの徒歩道のみであり、まずはこれが燃料の搬入路だったのだろうと考えるのが筋です。

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ところが、どう現地を歩いても、地理院地図にある涙坂からの徒歩道への取付きがみえません。それにもし道があったとしても、相当な傾斜です。灯台の燃料ですから、ひとが背中に一斗缶(18L缶)を二つくくりつけて登るくらいでは追いつくはずもなく、車で補給していたはずなのです。食料などの物資なら、飛行機から落とすということもあり得るでしょうが、可燃物をポンポン山林に落とすとは考えにくく、どうやってここに燃料を運んだか、謎は深まります。

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しばらく思案してみてもわからず、今回は瀬畑ため池に向かって林道を下り、あらためて後日、涙坂から登って、経路を確かめてみることにしました。もしかすると、なにか途中に答えがあるかもしれませんし……。

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林道歩きは快適でしたが、途中から地理院地図に記載の徒歩道と逸れていきます。
ただ、ピンクテープが雑木の枝に巻かれており、また、バイクの轍もあります。どうやら地図の情報は古く、現在は違う経路に付け替えられているようなのです。

赤土層の上は、比較的轍が残りやすく、安心して目印にすることが出来ます。

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途中、日向になったところは雑草が生い茂っていたり、川を洗い越す場所はガレ場になっていたりと変化に富み、歩くには大変ですが、バイク愛好者には手軽に楽しめるオフロードとして認知されているのかもしれません。

今回、瀬畑ため池側から陣ケ尾三角点・秋月航空灯台跡に向かい、途中からオフロードバイクの轍が多いのに呆れ、マナーがなっとらん!と勝手に怒っていました。しかし、作業道?林道?を利用して下山してみると、これなら楽しいだろう、目くじら立ててどうする、とも思えてきます。

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瀬畑ため池が見えてきました。

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地理院地図で徒歩道とされているところの取付きを探してみました。おそらくこれではないかと思われます。ひと一人ぶんの幅しかなく、最後まで登れるかどうかも定かではありません。

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瀬畑集落の道沿いにあるこの自販機は、以前の仕事場時代、行き帰りによく利用したものです。

ここで缶コーヒーを購入して、ひと休憩していた時代が懐かしく思えます。

 

せっかくなので、県道66号の旧道をのぞいてみることにしました。
すでに書いたとおり、白坂峠の丁字路は、むかしの道の一部を削って下げ、高さが不足するところは盛り土したものです。

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坂を下って行くと、一部、むかしのガードレールが顔をのぞかせます。このことから、現道は旧道にそのまま盛り土して工事したことがわかります。

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旧道の入り口が見えてきました。

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5ナンバー車ならともかく、3ナンバー車は路幅が足らないのではないかと思えるほど狭い道が、平成初期まで現役だったことに驚きます。寺内ダムの上流部も路線改良されましたし、近所の主要地方道クラスでこのレベルの「険道」が生き残っているのは、おそらく「かんかけ峠」くらいのものではないでしょうか。

今回、ずいぶんと歩いた気もしますが、帰宅してGPSのログを測ると13kmほどでした。
いずれまた次の機会に、涙坂から陣ケ尾三角点と秋月航空灯台跡を目指してみたいと思います。

 追記(2021.07.25)

旗振り山と航空灯台

おそらく現在流通している唯一の航空灯台に関する著作である「旗振り山と航空灯台」を購入しました。航空灯台はすべて白熱電灯による灯火であり、配電会社や灯器の製造会社まで決められていたようです。

ここで心配したような燃料補給路の問題はそもそも存在しないことがわかりました。

また、鉄塔の高さは17mで、1933年建造ですが戦前は点灯されず、1946年から使用されたとのこと。