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鎌倉時代、羽田浦の領主だった行方与次郎が牛頭天王を祀ったのが創建の起源である。その後、後北条氏や徳川将軍家からも深い崇敬を受けていたという[1][2]。
元々は、隣の自性院内の神社として祀られていたが、明治時代の神仏分離政策により、須佐之男尊を祀る「八雲神社」として分離独立した。1907年(明治40年)には「羽田神社」に改称した[2]。
境内には、明治時代初期に築造された「羽田富士」と呼ばれる富士塚があり、大田区の有形民俗文化財に指定されている[3]。
つまり、ここは私たち九州・福岡の者からみると、祇園様なのです。
築山があり、「羽田富士」と呼ばれているそうです。
(2020.12.19訪問)