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元々は犬山城内にあった藩主を祀る祖霊社を、明治16年(1883年)にこの地に移し、犬山神社と改称したもののようです。昭和23年(1948年)に戦没者371柱を併せて祀るようにしたとあり、拝殿内を拝謁させていただいて驚きました。
歴代の殿様より、戦没者が上位なのです。戦没者霊が中央で、その両脇に5柱ずつ殿様が並べられています。神社である以上、いくらなんでも中央が首座で、向かって右手が2、左手が3番目、そのあとは交互にその繰り返しというのは誰でも判っているはずです。学校や企業、役場にある歴代校長(社長・首長)の写真じゃあるまいし……と苦笑してしまいました。
しばらく考えているうちに、どうも観光面でのアピールはともかく、地元意識としては、ここは戦没者を祀るのがメインなのではないか?と考え着いたのですが、実際のところはどうなのでしょうか?
[社名(御祭神)]犬山神社(成瀬正成ほか、戦没者)
[現住所]愛知県犬山市犬山北古券12
[創建年]享保2年(1717)、相生社を明治16年現在地に移し改称す
(2020.11.07訪問)