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穂波町教育委委員会(「穂波町」の部分が「飯塚市」と上から修正されています)が設置した案内板は、福岡県神社誌と微妙に境内神社の名前が異なります。
石段をあがって境内を一周してみました。宝満宮の社殿の正面向かって右手に石祠があり、パッと見てお宮は2社しか見えません(愛嶽神社は少し離れた場所にあり、後日紹介します)。
あらためて石祠をのぞくと、櫛田神社の御札が御神体に立てかけられていました。どうやら地元のかたの理解では、この石祠が須佐神社に相当するようです。
では疫神社とは?
いったん鳥居までもどり、入り口の石碑を眺めます。どうやら疫神社とは、この石碑群のことのようです。
御祭神
八衢毘古神(やちまたひこのかみ)
八衢比売神(やちまたひめのかみ)
久那斗神(くなとのかみ)
塞三柱神(サエノミハシラノカミ)/日本の神々の話 : 四季歩のつれづれ
三柱の神とは、八衢比古命・八衢比売命・久那斗命ですが、この神とは上総國式内社・姉埼神社の配祀神として、そして狭山市の廣瀬神社の相殿神で道饗祭の祭神ですから、廣瀬神社を訪れた時には参拝しています。
先に「塞神(さいのかみ)」を挙げていますが、これは日本古来からある原始神の一つであり、村境に祀られ、悪疫悪神の侵入を防ぐ神であり、名称も形も様々です。
その土地の人が通る時に手を合わせたり、石を積んだりして信仰しています。
https://mapps.gsi.go.jp/maplibSearch.do?specificationId=209541
昭和23年(1948年)当時の航空写真と現在の様子を見比べてみると、病院などの建設がすすめられ判りにくくなっていますが、もとはここまで家もなかったことが見てとれます。
もう一点気になるのは、現地の案内板で「宝満山信仰とは水の神への信仰」と言い切っている点です。竈門神社を勧請したとあることから、太宰府の鬼門を守る天台修験道の寺が本山であり、私たちが本家本元と目している山家宝満宮とは別の流れであることも、判ります。
福岡県神社誌:上巻330頁
[社名(御祭神)]宝満宮(玉依姫命)
[社格]村社
[住所]嘉穂郡穂波村大字太郎丸字観音免
[境内社(御祭神)]愛嶽神社(保食神)、天神社(菅原神)、疫神社(塞座三柱神)
[摂社(御祭神)]記載なし。
[末社(御祭神)]記載なし。
(2020.10.14訪問)