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表参道の石段を下り、曲芸をする狛犬さん達を眺めていると、昨年、嘉麻市千手の千手八幡宮を訪問した時のことを思い出しました。あそこにも、曲芸をする狛犬さんが居ます。
彼の地には、豊玉彦(豊国主・豊前坊)の部下が祀られており、その横にある「遥拝所」は、(神宮ではなく)英彦山と豊前坊の遥拝所ではないかと書いたところ、お叱りに近い電話をいただきました。けれども、崇神天皇にとって母方の祖父は豊玉彦であることを考えれば、曲芸狛犬もまた、なにかの御縁と記憶をつないでいるとも考えられるのです。
河内王の墓とされる勾金陵墓参考地まで、歩いて100mほどでした。途中、万葉集の歌碑がいくつか作られています。
宮内庁による「立入禁止」の立て看板と円墳を眺めながら、大宰帥であった河内王の墓がなぜここなのか、と不思議に思えてきます。太宰府の近くならともかく……。
これまでも何度か、崇神天皇が現皇室の祖であり、父方は天之忍穂耳(英彦山)、母方は豊玉彦(豊前坊・豊国主)にさかのぼる家系であることを、書きました。そしてこの一族の本拠地は、後年、東へ移動していきます。香春岳から京都(みやこ)郡、そして宇佐の地へ。どんどん東に向かっていた理由は考えないといけませんが、少なくとも、ある時点まではこの香春の地を、故地として認識していたことがわかります。その何よりの証拠が、この河内王の墓なのです。
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引き続き、同じく神功皇后の聖蹟地とされる「鏡が池」を目指します。
離合の難しい道を進むと、やがて「鏡が池まで100m」の看板に出くわします。そこを曲がり、しばらく進むと、駐車場がありました。2,3台、停められそうでした。
驚いたことに、鏡が池に向かう道は、どうやら個人の敷地のようなのです。
駐車場から2,3分ほどで、現地に到着します。
鏡が池の横に、香春町教育委員会の案内板があり、神功皇后がここで水面に顔を映して水鏡とした伝承を記しています。
この案内板の前半「四王寺が峰」とあるのが気になります。私たちがパッと思いつくのは、太宰府の北側の四王寺山脈とでもいうべき山々で、豊国となんの関連が……。
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そう考えながら地図をみると、この鏡山地区には障子ヶ岳があり、「しおうじ」と「しょうじ」と名前も似ています。
この「四王寺が峰」が太宰府の北側にあるあの山々なら、首都太宰府を見下ろすイメージもわかりやすいでしょう。しかし、太宰府から香春岳は見えません。するとこの香春岳周辺で国を見下ろせる「四王寺が峰」を見つけなければならず、となると、障子ヶ岳も有力な候補になりうるのではないか……。
https://www.kojitusanso.jp/tozan-report/detail/?fm=9203
香春と京都郡を一望することができ、まさに豊国を見下ろす位置にあります。ではなぜ、それが四王寺なのでしょうか。考えられるのは、意図的に混同させた可能性です。
高良玉垂宮神秘書によれば、太宰府北側の四王寺山は、鵜葺草葺不合命(うがやふきあえず)から高良玉垂命が神器を譲り受け、天皇となった場所です。あえて名前を混同させることで、過去をわかりにくくしたか……。
4389 村社 若宮八幡神社 京都郡久保村大字松田字上野区上野山
4463 村社 若宮八幡神社 京都郡諌山村大字宮原字上原
4464 村社 若宮八幡神社 京都郡諌山村大字岩熊字岡
4466 村社 若宮八幡神社 京都郡諌山村大字浦川内字イノ原
障子ヶ岳をはさんで鏡山大神社の反対側に、若宮八幡宮が複数存在するようです。若宮とは、玉垂命の子である仁徳天皇を指します。反対側は、今度は玉垂命(の子孫)の勢力圏があるというわけで、どうもこの点も調べてみる必要がありそうです。
ひょっとすると、故郷にあやかり「四王寺が峰」と玉垂命の一族が呼んだのでしょうか?
鏡山大神社の表参道付近にあった案内板を(画像で)読み返しながら、障子ヶ岳に登ってみる必要があると考えました。
とはいえ、山なんてもう何年も登っていません。大丈夫でしょうか……。
(後編に続く)
福岡県神社誌:下巻214頁
[社名(御祭神)]鏡山大神社(気長足姫命、足仲彦天皇)
[社格]村社
[住所]田川郡勾金村大字鏡山字南原
[境内社(御祭神)]稲荷社(保食神)
(2020.09.27訪問)