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福岡県神社誌では、正慶元年(1332年)に京都東山地主宮を勧請したものとあります。
京都の清水寺の近くにある地主神社の御祭神は大国主なのに、この地主宮は、イザナギを祀るとしています。どこかで御祭神が入れ替わったのでしょうか?
境内にある複数の石祠のうち、どれが埴安命こと大幡主(博多のお櫛田さん)を祀る天神社なのか、神功皇后を祀る宮地嶽神社なのかもよく判らず、周囲を見渡しながら考えてみました。
まず大前提として、記紀ではスサノオと奇稲田姫の子が大国主(大己貴)であるとしていますが、これがそもそも大嘘です。大国主(大己貴)の父は大山祗(月読命)であり、母は埴安姫、つまり大幡主の妹にあたります。大幡主の孫 豊玉姫(田心姫)を妃とし、甥であり入り婿として「大国主」を名乗ります。ではスサノオと奇稲田姫の子は誰かと言うと、神武東征で皇室に歯向かったとされる長髄彦(ながすねひこ)なのです。
つまり、京都の地主神社とは、大国主を祀るふうを装いながら、実際は長髄彦、その父 スサノオ、その母 奇稲田姫、奇稲田姫の父 金山彦、奇稲田姫の母 埴安姫を祀っている神社と考えることができます。埴安姫が金山彦から大山祗の妃へと移るのは、大幡主とその一族の提携関係の変化によると考えています(ほんと政略結婚、ほぼ乱婚ですね……。女は縁を結ぶための道具だった時代です)。
境内の石祠群のいずれかにほんとうに天神社があるとするなら、記紀の伝承に従い大国主を祀る地主神社として勧請され、その義理の祖父であり伯父の大幡主が併せて祀られていることになります。
しかし、それでも御祭神は、イザナギなのです。誤植ではないのかとも思うのですが、どうしたものか……。
福岡県神社誌:中巻245頁
[社名(御祭神)]地主神社(伊弉諾尊)
[社格]村社
[住所]浮羽郡船越村大字鷹取字樋口
[境内社(御祭神)]天神社(埴安命)、宮地嶽神社(神功皇后)
(2020.09.21訪問)