美風庵だより

幻の花 散りぬ一輪 冬日の中

北九州市小倉南区長尾1丁目 八阪神社(祇園神社)


大きい地図・ルート検索  ( powered by ゼンリン地図 いつもNAVI )

f:id:bifum:20200919141718j:plain

f:id:bifum:20200919141903j:plain
f:id:bifum:20200919141806j:plain

昨日紹介した北九州市小倉南区長尾の八旗八幡神社に、御祖神祠である建速社があり、スサノオが祀られていました。

そこから歩いて10分もかからない距離に、八阪神社祇園神社)があります。

祇園神社古墳群

1号墳

2・3号墳

4・5号墳

境内に、直径10mほどの円墳が5基残されており、古代の有力者の祭祀場が、のちにスサノオを祀る神社に発展したことが、わかるのです。

小倉南区山本・長行・徳吉・高津尾地区の史跡等

由緒:天慶9年(946年)の社記に、貞観12年(870年)より3年に及ぶ疫病が流行し、人々の半分が死亡したため、国守代豊前介仲直は、山城の国より八坂の神を長尾の丘に勧請したのが始まりとあります。その場所は現在地の道を隔てた西南数百歩の場所であったと云われています。保元2年(1157年)長野山に城を築いた平康盛が奉幣しました。元暦年中(1184~1185年)に至り平家が滅びる頃、長野長盛は、この社に願掛けを行ったところ企救郡の地頭職になりました。このお礼として、現在地へ社殿を遷し、企救一郡の総鎮守としました。またその後、この地区を祇園町と呼ぶようになりました。天文2年(1533年)、大内義隆の兵によって灰燼となってしまいました。その後、里人によって小さな祠が建てられ祭事は続けられていました。慶長年間に至り藩主細川忠興が、鷹狩にこの地に訪れ、この社にて休憩した際、戯れに杖で祠の扉を押し開けたところ、たちまちに両目が見えなくなってしまいました。そのため、新たに神殿を造営したところ目が見えるようになったことから、片野村三本松に分社を創立、元和3年(1617年)には小倉城下鋳物師町に遷しました

つまり、この円墳が5基ある祇園神社が、小倉祇園の八坂神社の元宮なのです。

www.yasaka-jinja.com

福岡県神社誌:下巻452頁
[社名(御祭神)]八阪神社須佐之男命、櫛稲田姫命、天菩日命他6柱)
[社格]無格社
[住所]企救郡中谷村大字長行字祇園
[境内社(御祭神)]記載なし。
(2020.09.19訪問)