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どうも道が細くクルマを停める場所があるか不明だったため、一の鳥居手前のひろい場所に駐車させていただき、雨がパラつくなかを、歩いて神社に向かいました。
境内に足を踏み入れると、恐ろしいほど神気ただよう場所で驚きました。この写真でどの程度伝わるかはわかりませんが、厳かな雰囲気があります。この雰囲気のもとは、社殿などの建物ではなく、この場所、そして背後の山にあります。
この「西」大野八幡神社のほかに、直線で1.2kmほどのところに、「東」大野八幡神社があります。伝承では、天智天皇5年(666年)に、高津尾山(両大野八幡の真ん中にある山)の山上に神が降られ、最初は赤丸の地(郷原)に祀られていたとのこと。のちに、山本村(西大野八幡神社の近く)に遷座します。
現在地には寛文8年(1668年)に遷座とのことで、福岡県神社誌の「東」大野八幡神社の項目を読むと「寛文7年(1667年)東大野郷9か村人民西大野八幡神社を花枝山に勧請」とあるため、この時期に、大野八幡神社は2つに分離したことがわかるのです。
この西大野八幡神社のほうが、本社格にあたる神社ということになります。拝殿を正面から撮影したあと、脇の坂道から社殿側にあがると、本殿と幣殿があり、立派な構えにあらためて驚きます。横には、枯れてはいるものの御神池があり、これも往時の繁栄を偲ばせるものです。
本殿の屋根には、三階菱紋が打たれています。小笠原家の家紋であり、江戸時代の造営だということが、わかります。
正面向かって左手に、お宮がありました。福岡県神社誌の記載からして、これが大疫神社でしょうか?
同じく左手に、神輿庫と社務所がありました。敢えて撮影しませんでしたが、神輿庫にはおそらく地元のかたでしょうか?中で神輿の様子を点検されておられました。
掛値無しで、神聖な空気を感じられる場所ですので、近くの方はぜひ訪問してみてください。
福岡県神社誌:下巻150頁
[社名(御祭神)]西大野八幡神社(息長帯比売命、品陀和気命、多紀里比売命、市寸島比売命、多岐都比売命、大山津見神、誉田別尊)
[社格]郷社
[住所]企救郡中谷村大字山本字片山
[境内社(御祭神)]大疫神社、山神社(2020.09.17訪問)