美風庵だより

幻の花 散りぬ一輪 冬日の中

2月21日の日録

生活困窮者です。

今日は知人が午後からやってくるため、土産に明太子を持たせることにしました。

蔵出し明太子のさかえや(辛子明太子)/TOPページ

昨日も行った山隈駅近くの明太子工場のついでに、久しぶりに城山(花立山・じょんやま)まで自転車で運動することにしました。

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往復で約18kmと、そこそこの運動になりました。

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モンベル | オンラインショップ | ドライ サドルバッグ S

昨日、管理人に手伝ってもらってサドルバッグを取り付けました。その画像をみて、朝方LINEで「その角度だったら、開封口を逆に折り畳まないと雨がはいるだろ」と指摘があり、さっそく逆に折り畳んでおきました。mont-bellのロゴが隠れてしまいますが、しかたがありません。

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田園風景の向こうに、目的地の城山(花立山)が見えます。

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城山(花立山)の一般的な登山経路は、緑で示したものです。焼の峠古墳側からは離合は困難ですが舗装され、ほぼ山頂まで車やバイクで登ることが出来ます。

今回は、花立集落の日子神社側から、登りました。

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ため池のまんなかを抜けると、そのまま日子神社の参道となっています。

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小郡市山隈 日子神社 - 美風庵だより

日子神社で道中の安全を祈願して、境内向かって右から伸びる登山道に足を踏み入れます。

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途中、御堂があるところまでは、セメントで舗装されていました。

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舗装が途切れたところで周囲を見回すと、御堂がありました。御神体が石でよく判別できなかったのですが、周囲の石に「**番札所」といった文字が彫られており、むかしの霊場跡かもしれません。

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登れば登るほど、道はけわしくなります。まるで貧困にあえぐ生活困窮者の行く末を暗示するかのようです。とはいえここまで来て引き返すわけにはいきませんから、GPSアプリで現在地を確認しながら、よく踏み跡を確かめて登ります。

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数分も歩くと、車道脇の駐車場に出ました。山頂に来たのは、2019年10月以来です。

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来た道を見下ろして1枚撮影してみました。これ、パッと見て花立集落からの登山路だとは、誰も気づかないと思います。

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朝倉郡筑前町四三嶋 愛宕神社 - 美風庵だより

小郡市干潟 日方神社 - 美風庵だより

筑前町側にある愛宕神社小郡市側にある日方神社をそれぞれお参りしました。

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小郡や筑紫野市側を眺める展望台があり、途中の自販機で買ったコーヒーを飲みながら、しばらく休憩しました。

 

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下山後、山隈駅前をとおって明太子工場のほうへ向かう途中、御堂が見えたので立ち寄ってみました。

菊池武光 - Wikipedia

南軍は高良山に陣を敷き、対する少弐軍は筑後川右岸の味坂に軍を進め、ここに史上名高い筑後川の戦い(大原合戦・大保原合戦)の幕が切って落とされた。
この合戦は菊池軍4万、少弐軍は6万の兵力を擁したと伝わり、まさに九州の合戦史上最大の戦いとなった。この合戦では、7月19日に菊池勢が筑後川を渡河したのを機として、少弐勢が大保原に退いて以降一進一退の攻防が続いたが、8月7日に両軍の主力が激突する大激戦となった。この日の激戦は、南軍の総帥である懐良親王が3ヶ所の深手を負うほどであったが、武光をはじめとした南軍諸将の奮戦もあってこれに勝利した。少弐勢は総大将・頼尚の子息・少弐直資が戦死したのをはじめ、2万以上の死傷者を出し大宰府へ敗走、一方の菊池勢も武光の甥である菊池武明や一族の赤星武貫らが戦死し、こちらも多くの死傷者を出したため、これを追撃する余力は無かったといわれる。なお、この戦いの後に、傷ついた武光が己の太刀についた血糊を小川で洗った事から「太刀洗」(現福岡県三井郡大刀洗町)の故事が生まれたと伝わる。この他、筑後川古戦場付近には「大将塚」、「千人塚」、「五万騎塚」などこの時の合戦に由来する地名が数多く残されている。

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逆光でよく見えませんが、この「菊池武光太刀洗之碑」を中心に、大保原の合戦で亡くなった方々の慰霊塔などがあり、裏手の御堂にて手をあわせました。

ちなみにここからすぐのところに、大刀洗町の大刀洗公園があり、ここには菊池武光公のブロンズ像があります。今回は午前中のうちに帰宅する必要があったので立ち寄りませんでした。いずれ、あわせて訪問したいと思います。

 

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帰宅後、知人が来るまでのあいだに、紀州ミカンの植え替えをすることにしました。

いつの頃からか水はけが悪くなり、水やりをしてもなかなか中に染み込んでいかなくなっていました。このままではさらに樹が弱るため、土を入れ替えることにします。

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6号のスリット鉢はそのまま使いまわします。だいぶ痛んできていますが、まだまだ新品と交換するのはもったいありません。鉢底にココピートを敷き詰め、その上に水はけのよい培養土などを詰めておきます。

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再度植え付ける位置を確認しつつ、根を切り詰めていきます。

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最後に、根鉢の周囲にココピートと化学肥料を押し込み、さらに上からココピートで覆土して完成です。ココピートで育てることについては賛否両論あるようですが、保水力の高さを考えると、むかし購入した在庫(あと2袋)がある間は、これを使い続ける予定です。

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最後に、元々の場所に移して、じょうろで水をやっておきます。何回か水やりをしているうちに土が締まってくるので、足りない分は覆土しておきます。元気に根付いてくれるとよいのですが。

 

知人の帰宅後、ここ最近の寒暖の差で体調がすぐれないため、久しぶりに「亀や薬」を煎じることにしました。

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亀や薬(婦人漢方薬)|亀や薬本舗・武石亀石堂

効能・効果

血の道、頭痛、月経不順、月経前後の下腹疼痛、産前産後、肩のこり、下腹腰足の痛み、冷え込み、のぼせ、耳鳴り、めまい、むくみ、神経衰弱、ヒステリー、ひきかぜ、子宮病、子宮出血

外出時に使っているクッカーセットと固形燃料で、漢方薬を煎じます。固形燃料は30分経つと燃え尽きるため、火加減の調整が要りません。アルミ鍋に生薬をいれて400mlの水を加えたら、マッチで火をつけるだけでOKです。その間に、風呂に入ります。

亀や薬や中将湯はティーバッグに入っているためそのまま利用する方がほとんどですが、ティーバッグのままだと、お湯のなかで対流せず、有効成分がきちんと抽出されません(出来上がった煎液の色を見比べれば、誰でもわかります)。手間でも、きちんと破いて中身をしっかりお湯のなかで対流させましょう。

風呂からあがって、生薬をこしとり、ティーポットに煎じ薬をとりました。ちょっと400mlでは水が多すぎたようで、一回で呑むには多すぎました。

呑んで数分すると、身体があたたまり、首筋のだるさがやわらぎます。よく眠れそうです。