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現地に由来が書かれた石碑があり、それを読むと保元3年(1158年)に太宰府天満宮を勧請したとあります。福岡県神社誌では「保元の頃岩石城主大庭景観太宰府より勧請」とあり、ここが天満宮となった理由は、先日「神社めぐり」シリーズで取り上げた添田神社と同じだということがわかります。
天穂日命と大山祇命が併せて祀られているとされているのですが、現地でそれらしい痕跡はありません。天穂日命とは大幡主のことです。大幡主と大山祗は相協力して日本各地を開拓されました。大山祗の子が大幡主の入り婿となり大国主として、両方の領地を引き継ぐことになるのは、この1世代後のことです。大幡主と大山祗は田神社・天神社で祀られていることが多く、そこでは大幡主は埴安命という名前で祀られています。
拝殿の格天井はおそらく近年修復されたものでしょう。境内もすっきりとしており、ずいぶんと地域がお金をかけて大事にされてきたことがわかります。筑豊なので鉱害復旧工事や炭鉱主の寄進という可能性もあるのですが……。
てっきり福岡県神社誌にあるような地主社や貴船社がずらりと並んでいるのかと思いきや、正面左手にはえびす様と撤去されたお宮の跡しかありません。
撤去されたお宮の跡には、峰地2坑守護神社の石碑が残っていました。
どうもこの立派なたたずまいは、もともと炭鉱主との関わりがあったからのようです。
福岡県神社誌:下巻202頁
[社名(御祭神)]菅原神社(菅原神、天穂日命、大山祇命)
[社格]村社
[住所]田川郡添田町大字庄字宮ノ上
[境内社(御祭神)]須佐神、地主社、貴船社、海津見社
(2020.06.20訪問)