美風庵だより

幻の花 散りぬ一輪 冬日の中

佐賀県三養基郡基山町小倉 伊勢山神社


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まず、境内の案内板を抜き書きしてみたいと思います。

伊勢山神社の由来

祭神 天照皇大神 萬幡姫命 手力雄命

伊勢山神社創建については人皇代第六十二代村上天皇の天暦九年(九五五)十一月時の県主が伊勢神宮の分霊を勧請したものと伝えられる 後荒穂宮の五所宮の一として荒穂宮より神饌を奉っていた 後世この地が対馬島主宗氏の所領となり当社を領地の鬼門鎮守神と仰ぎ別に神職を置いて奉仕させ且つ神宮の大麻領布せしめていたが伊勢神宮より大麻領布するようになると領内領布の総元と定めたれたこれより伊勢山神社の称が起こった明治六年村社に列せられたが祭事は古来通り神課二十人にて行うことになった

境内に埴安社(祭神 埴安彦命)を祭る

古より御神期と称し六十年毎に大祭二十年五智に小祭が行われている 大祭は近くは弘化四年(一八四七)明治四十年 昭和四十二年であった 古の御神期の神事に当たる者は七日間家に帰らず神社に泊り込みで水垢離をとり身を清めて奉仕したという

伝説によれば光格天皇天明年間に大飢饉が続いた上に眼病が流行し住民が困窮していたとき当社の一番下の石段の東側にあった?の古木の虚になっている中から滴り落ちている清水が眼病に効験があるとの噂が広がりその霊水を頂きに筑後筑前はもとより肥後あたりからまでも参拝者があり社頭は大いに賑わったという その神木は生け垣で囲んであったが今は枯れてなくなりその跡に楠が植えてある

一千年の歳月に御神体も表裏の識別もできないまでに風化していたので昭和九年鳥栖町の堀彫刻師に依頼して新たに刻み筑紫神官により御神入れを行った この御神体に紀元二千五百九十五年と刻み後世に遺した

昭和十九年時の町長天本龍之助氏の仲介により伊勢山神社の資産とともに祭事一切を小倉区に移管した

昭和四十七年四月九州自動車道建設に伴い社地の一部がその用地として買収されたので神殿は古来の神明造りのままとし西側に移転新築して現在に至る

御祭神が天照大神、(天照大神と高木大神の娘)萬幡豊秋津姫、スサノオ手力雄命)という、脈絡のみえないとりあわせなのが気になります。伊勢山と言いながら、豊受姫(天細女:あめのうずめ)の姿はみえません。どこかで祭神が入れ替わっているのでしょうか。

また、境内をぐるりと一周してみましたが、埴安命こと大幡主(博多のお櫛田さん)を祀る埴安社が見あたりません。社殿に合祀されているのでしょうか。

考えてみるに、博多の櫛田神社と同様、大幡主、天照大神スサノオがほんらいの祭神だったのではないか、というのが一つ目の見立てです。のちに大幡主が社殿からおろされ、代わりに萬幡姫が加えられたのではないでしょうか。高木大神の娘は二人居て、豊玉彦(豊国主・豊前坊)の妃となった萬幡豊秋津姫と天之忍穂耳(海幸彦)の妃となった栲幡千千姫を、日本書紀古事記はわざとごっちゃに書いています。

 

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まともに記紀を読むとこれだけでも煙に巻かれてしまうのですが、さらにこの地域は、織女神の伝承をもつ地域です。織女神は、天之忍穂耳の妃のひとりだった市杵嶋姫のことですから、じつはこの萬幡姫とされているのは、市杵嶋姫ではないか、とも考えられるのです。すると、その実父であるスサノオが一緒に祀られているのもよくわかります。ただ、この見立てをとると、天照大神が宙に浮きます。イザナミなら系図上しっくりくるのですが、それではなぜここが「伊勢」とされてきたのかが、わからなくなってしまいます。なかなか謎です。

神明造の本殿に男千木がかかっているところをみると、ほんとうに主祭神天照大神なのか?という気もしてきますが……。

(2020.08.19訪問)