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いわゆる祇園様で、まるで寺のようなつくりですが、元々祇園様は牛頭天王としてスサノオを祀る寺ですから、これはむしろわかりやすいものです。
神輿庫が立派で、さぞ立派なお神輿が納められているのでしょう。
現在のように医療は発達していませんから、どうしても病気快癒は神頼みになりがちでした。神社やお寺をめぐっていると、疫病退散・病気平癒祈願を目的とした社寺の勧請が多いことに、すぐ気づきます。
大きな町(集落)に、大きな祇園社(須佐神社・須賀神社・天疫神社)があるのは、お約束といってもよい状況でした。逆に言えば、祇園社の規模をみれば、江戸時代のその町の規模がある程度わかります。
むろん、立ち退きや区画整理の対象になり、過去の規模を維持できていない祇園社も多数あります。いついかなるときも参考にできるわけではありませんが、過去の隆盛ぶりをみる尺度としては、そこそこ有効です。
徒歩圏内に小学校・郵便局・農協支所があるところをみれば、昭和12年(1937年)に川崎町と合併する前の安眞木村の中心部だったろうことは、容易に推測できます。
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福岡県神社誌:下巻454頁
[社名(御祭神)]須佐神社(大山祇命、素盞嗚命、猿田彦命)
[社格]無格社
[住所]田川郡川崎町大字安真木字下真崎辻
[境内社(御祭神)]記載なし。
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(2020.06.14訪問)