美風庵だより

幻の花 散りぬ一輪 冬日の中

宮若市黒丸 日少神社(北斗宮)


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6月2日に訪問した神社で最も難解な存在がこの北斗宮でした。
まず、境内にある案内板を転記してみたいと思います。
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当社は初代大宰少弐(武藤)資頼の長男である資能の息筑後守経資が正応元年に嘉穂郡庄内村に祭祀した日少の御祭神を資頼の次男頼茂の四代目である定行が筑後国三原郡の安永荘を賜り姓を安永と定めその息安永但馬守藤原重勝が黒丸城の築城に当たり当所に第百五代後奈良天皇の天文十八年(西暦一、五〇〇年)に奉戴し領民の安泰と息災を祈願して祭祀されたものである。

平成九年九月六日

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(1)少弐氏の祖 少弐資能の一族が嘉穂郡庄内村に日若神社を創建する。
(2)少弐資能の弟の一族が、筑後国三原郡安永荘(現在の久留米市北野町中川字安永)を領し、それを機に安永姓に改名する。その後移封をうけ、現在の宮若市黒丸の地に黒丸城を築城するにあたり、守護として(1)の日若神社を勧請した。
という内容です。
これだけ読むと、なぜ扁額が「北斗宮」なのか、関係がわかりません。日若神社が本社であれば、妙見大明神でも妙見宮でもよさげな気がします。これはどういうことなのでしょう?

久留米市北野町中川(安永) 天満神社(天満宮) - 美風庵だより

現在、久留米市北野町中川字安永には天満宮があります。
この天満宮の御祭神は天穂日命と菅公です。

久留米市田主丸町益生田 矢倉八幡宮 - 美風庵だより

天穂日命大国主を説得するために使わされた神であり、現在も出雲で彼の後継者が大国主の監視役を押し付けられています。この北野町中川の天満宮を訪問したころは、天穂日命とは豊玉彦ではないかと考えていました。大幡主の子で、高木大神(高皇産霊神)の娘婿なら、双方との関係性も充分です。ただ、神武東征に思兼命として登場することを考えれば、天つ神寄りになりすぎる点が気になります。そして、最大の問題は、ほぼ同世代となること。やはり同輩や年下を説得に差し向けるとは思えず、最近では、豊玉彦の父親である大幡主(神皇産霊神、博多のお櫛田さん)を仮定するようになりました。

北野町中川の天満宮について書いた日記を読めばわかるとおり、支配者の交代で天満宮で上書きされる前の大幡主や豊玉彦の姿がいまも残っています。大幡主の姉が天之御中主ですので、御祭神の関係性は比較的近いのです。

案内板をよく見ると、意外なことに気づきます。本社の飯塚市多田(旧嘉穂郡庄内町多田)の日若神社の御祭神はイザナギなのですが、ここではイザナギイザナミが夫婦で祀られているのです。
こう書くということは、推測ですが御神体は最低男女2体あります。片方が天之御中主で、もう片方は大幡主(神皇産霊神)でしょうか?

 

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境内からさらに石段であがると、虚空蔵菩薩の仏堂があります。虚空蔵菩薩は思兼命の本地仏とされており、思兼命とは豊玉彦の別名です。日若神社を勧請したという側面だけでみるのではなく、北野町中川から移住してきた際に祭祀を持ち込んできた側面も重視すべきであることを教えてくれています。
どうもこのあたりを理解するには、飯塚市多田(旧嘉穂郡庄内町多田)の日若神社を訪問するよりほかなさそうです。なにかわかればよいのですが……。

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福岡県神社誌:下巻398頁
[社名(御祭神)]日少神社(伊邪那岐命伊弉冉命
[社格]無格社
[住所]鞍手郡中村大字黒丸字城ノ脇
[境内社(御祭神)]記載なし。
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(2020.06.02訪問)