大きい地図・ルート検索 ( powered by ゼンリン地図 いつもNAVI )
佐の古大神宮と大通宮がほんとうに内宮・外宮の関係にあるのか、どうも鍵を握るのは、大通宮のほうだと思いなおし、再訪してみました。
2020年2月に、久留米市田主丸町豊城の高木神社を訪問した際、どうもこの矢車紋は豊玉彦の一族ではないか、という書きました。
福岡県神社誌では、御祭神は国常立命とされていますので、2019年11月に訪問した折は大幡主なのだと考えていましたが、どうもこの神社も豊玉彦を祀る神社と考えたほうが、つじつまが合うようです。豊玉彦の父は大幡主(博多のお櫛田さん、神皇産霊神)ですから、縁がないわけではありません。
朝倉市上浦 高天神社(鷂天神社:はいたかてんじんじゃ) - 美風庵だより
すでにみたとおり、天照大神が大幡主(神皇産霊神)の妃であった時代があり、それを考慮して「釣り合い」を先人が重視したのであれば、大通宮は夫を祀り、佐の古大神宮は妃を祀る神社としてとらえることも可能です。
しかし、矢車紋が示すのは先の高木神社の例をみればわかるとおり豊玉彦ですから、あまりに勘繰りすぎかな?という気もしています。豊玉彦は高木大神・天照大神夫婦からすれば、娘婿ですので、かなり近い縁であることは間違いないのですが……。
そしてもうひとつ気になるのは、祭祀を支える氏子の姓が大通宮は「重松」、佐の古大神宮は「福田」と分かれている点です。
拝殿の矢車紋も気になりますが、本殿下の玉石積みの基礎も気になります。物部一族が祭祀した神社が古層にあることが、あきらかだからです。共通している部分も多いし、おそらく互いに意識し合ってきたのは間違いないでしょうが、果たして外宮・内宮の関係ととらえることが出来るのか……。夫婦神が、近くに別々に祭祀されているのではないか……。
どうもよくわかりませんでした。いずれ判る日が来るかもしれません。ただ、感じた範囲で述べることを許されるなら、おそらく外宮・内宮の関係に似せた存在であって、元は違うか、夫婦の片方ずつが残されたのかといったところではないでしょうか。すると佐の古大神宮のほんとうの祭神は、豊玉彦の妃であった天細女(あめのうずめ)でしょうか。もしかするとそうかもしれません。
-------------------------------------------------
過去の訪問記録
----------------------------------------
福岡県神社誌:中巻204頁
[社名(御祭神)]吹上神社(国常立命)
[社格]村社
[住所]三井郡立石村大字吹上字村園
[境内社(御祭神)]古宮神社(不詳)
----------------------------------------
(2020.05.30訪問)