美風庵だより

幻の花 散りぬ一輪 冬日の中

8月2日の日録

【本日の所持金:38,562円】

生活困窮者です。

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今日は10時から町内会の臨時総会のため、朝、近場で軽く自転車をこいで運動しました。上記の地図で、赤線の約10kmが、朝7時前に家を出て走った部分です。

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大己貴神社|あさくらの地は弥永にある我が国で最も古いと言われている神社

大己貴神社

筑前町弥永の大己貴神社と、朝倉市持丸の大嶽神社(愛嶽社)を訪問し、毎度ですが、宝くじ当選・相場大勝、つまり生活困窮者への「金銭的支援」をお願いしました。

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出雲大社 - Wikipedia

高皇産霊尊は国譲りに応じた大己貴命に、「汝の住処となる「天日隅宮(あめのひすみのみや)」を、千尋もある縄を使い、柱を高く太く、板を厚く広くして造り、天穂日命に祀らせよう」と述べた。(『日本書紀』)
(略)
共通して言えることは、天津神(または天皇)の命によって、国津神である大国主神の宮が建てられたということであり、その創建が単なる在地の信仰によるものではなく、古代における国家的な事業として行われたものであることがうかがえる。
また、出雲大社の社伝においては、垂仁天皇の時が第1回、斉明天皇の時が第2回の造営とされている。

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大己貴神社と奈良・桜井の大神神社の関連からか、大己貴(大国主)ではなく大物主(大山咋)を祀るのではないか、というかたもおられるようです。非常に難しいところですが、近くの「梨の木城」という老人ホーム付近に「日隅宮」の石祠があるところを考えると、やはりここは大己貴(大国主)が追い詰められて、高木大神(高皇産霊神)に命を召し上げられた場所だと考えるのが、すっきりします。そしてのちに「出雲」にでかい神殿を建て直して、あらためて祀り直されました。

もっと言えば、大己貴(大国主)の父、月読命(大山祗)の起点は現在の久留米市田主丸一帯であり、そこから北上して、最後の拠点としたのが、現在の宗像大社です。「出雲」という地名の発祥は旧嘉穂郡筑穂町平塚の「出雲」で、そこから、のちの出雲国に展開していきました。

大己貴神社が大神神社に似ている最大の原因は、大物主=大国主という通説の解釈に従って、いわば上書きされる形で本家側が染められたのではないかと考えています。

どちらかと言えば、大神神社の元宮というより、出雲大社の元宮というべき存在なのですが、さすがにもっと調べてみる必要がありそうです。

かたや大嶽神社は、おそらく修験道の修行場だったのではないかという気がします。脇を流れる川で手を洗い、お宮に手をあわせます。前回訪問したのが正月明けでしたが、あの時とかわらない神秘性があって、雑念なく金銭的支援をお願いしました。「かねくれ」という時点で、雑念とあんまり変わらないのですが。

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帰宅して朝食をとろうと冷蔵庫をあけると、あるのはパンの耳とナスでした。どちらも頂き物です。

50になろうかというおっさんが、パンの耳とは……。貧乏がにくい……。

9時半に家を出て、町内会の臨時総会に向かいます。区会計さんが発熱して(まさか!)急きょ欠席のため、出欠と委任状提出数の計算を行い、大会成立を宣言し、議長に引き継ぎます。

11時前に終了し、議事録案を作成して、役員全員の家に案を投函したあと、どうも運動し足りないので、今度は寺内ダムまで往復することにしました。

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13時ごろ家を出て、寺内ダムまで15kmほど往復しました。地図で青線の部分です。

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美奈宜神社に立ち寄り、ここでも相場大勝・宝くじ当選と、金銭的支援を祈願しました。