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福岡県神社誌では「天津彦星」となっていますが、天津赤星の誤りであろうと思われます。
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天津赤星(あまつあかぼし)《旧事紀》の天神本紀にある。饒速日(にぎはやひ)尊に従って天降り供奉したとあり,尾張国神名帳に赤星大明神というのがこれらしい。
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饒速日(にぎはやひ)は、すでにこの日記でもおなじみのとおり山幸彦、猿田彦、五十猛命(いそたける)のことです。饒速日に従った物部氏の祖を祀る神社であり、天津赤星の赤星は「明」るい「星」につうじることから、高良山の南側に「明星山」があります。
物部氏は、細かいところはぬきにして、とりあえず、熊襲の中核をなす集団と考えてとらえておけばよいかと思います。
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高良玉垂宮神秘書では、玉垂命が物部氏の一族であることを口外してはならないと厳重に戒めています。ばれれば全山滅亡を招くとも書かれており、とにかく前王朝の拠点であることを徹底して秘しています。
現地を訪問すると、神社とは思えぬ木造の社殿がありました。過去に拝殿と本殿が焼失したらしく、寄付金を募って、再建したもののようです。裏手にまわると、墳墓(有力者の墓)があります。以前はこの上に社殿が建っていたらしく、この神社が祀る対象は、この墓に埋葬された人物(とその一族)なのだということがわかります。
神社めぐりを1年近く続けて、やっとおぼろげにみえてきたことがあります。
大山祗を祀る一族も物部(二田物部)、玉垂命も物部氏、この天津赤星も物部氏、饒速日も物部氏……。物部氏というのは包括的な呼称で、崇神王朝以前に活躍した氏族の総称であり、俗に「熊襲」と呼ばれているものの中核的存在だったということです。
現王朝(崇神王朝)からみれば、潰す対象であったわけで、それがここに明確なかたちで伝承されていることに、驚きをおぼえます。よくも生き残ったものです……。
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福岡県神社誌:下巻420頁
[社名(御祭神)]富松神社(筑紫弦田物部祖天津彦星)
[社格]無格社
[住所]三井郡高良内村大字高良内字岩竹
[境内社(御祭神)]記載なし。
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(2020.05.05訪問)