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戦国時代、大友宗麟と秋月氏の古戦場だった場所だそうで、その地にこの神社が創建されたのは江戸時代とされています。倉稲魂神とは、お稲荷さんであり、卑弥呼(天照大神)の最側近であった天細女(あめのうずめ)のことです。天細女の母が罔象女神(みずはのめ)で、罔象女神の父が月読命こと大山祗ですから、祭神がもし倉稲魂神(天細女)、罔象女神、大山祗(月読命)であれば、大山祗一族を祀る神社と考えてよいことになります。
しかし、現地では罔象女神の名はなく、その代わりに、卑弥呼(天照大神)が祀られているのです。
この神社の境内に自転車で進入しようとしたところ、枯れ枝がタイヤにまとわりついて先に進めなくなりました。さらに、本殿となる石祠の石の合わせ目のスキマからは、なにかただならぬものが感じられます。そのため画像の撮影は控えましたが、石祠には菊水紋が打たれています。罔象女神が祀られていた痕跡にも思え、果たしてここには卑弥呼(天照大神)が本当に居るのか、考えてみる必要がありそうです。
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福岡県神社誌:中巻28頁
[社名(御祭神)]三所神社(倉稲魂神、天照大神、大山祇命)
[社格]村社
[住所]朝倉郡三奈木村大字三奈木字免ノ下
[境内社(御祭神)]天満宮、西宮
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(2020.05.05訪問)