美風庵だより

幻の花 散りぬ一輪 冬日の中

久留米市善導寺町与田 日吉神社


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現地の案内板(石碑)を読むと、明治に日吉神社とされるまでは、坂本山王宮であったようです。寛文年間(1661年~1673年)にはこの地に存在したらしく、創建はそれ以前と推定されるとあり、また福岡県神社誌によれば、大正時代に天満宮を合祀したとのこと。

また案内板には元々は2体の御神像が祀られていたが、現在は合祀により計6体の御神像が祀られているとあり、明治の神社合祀政策のなか、統廃合がすさまじい勢いですすんだことがわかります。

朝倉市下浦 王子神社(王子宮) - 美風庵だより

三井郡大刀洗町春日 高良坂本神社(坂本宮) - 美風庵だより

久留米市山川町 高良御子神社(坂本神社・王子宮) - 美風庵だより

久留米市大善寺町宮本 玉垂神社(玉垂宮) - 美風庵だより

すでに私たちは、坂本山王宮とされている神社の元々の姿は、玉垂命の七男 坂本命を祀る神社ではないか(もしくは、斯礼賀志命(しれかしのみこと:のちの仁徳天皇)と坂本命を祀る神社ではないか)、という検証をしてきました。大善寺玉垂宮を再訪した際には、東西の坂本社とされているのは門守であり、本殿に居るのが玉垂命ではなく、彼の長子 斯礼賀志命ではないか、という仮説に至っています。

後世、玉垂命の一族の姿は比叡山日吉大社)信仰で上書きされています。

久留米市北野町中 北野天満宮(上宮・下宮) - 美風庵だより

北野天満宮のように、首都(近郊)へ拡大・展開していき、逆に元宮のほうがその影響を受けた可能性もあるのですが、比叡山日吉大社)を訪問したことがないため、現時点では保留とさせていただきます。多少でも神社に詳しい方なら、宇佐神宮石清水八幡宮の関係を思い浮かべてもらえれば、なにを考えているかわかっていただけるでしょう。

首都に近い位置に勧請された分社のほうが力をもち、元宮を政治的・経済的に支配する構図です。となると、比叡山信仰とは、玉垂命の子 坂本命が両脇に門守(伴神)を従えていたのが原型だったという話にもなりかねないのです……。少々こんがらかってきましたので現時点ではこれも保留とします。

もともとこの地を統治したのは、玉垂命の一族、とくに坂本命の子孫だったのではないでしょうか。どうもこれだけは、言い切れそうです。そこに後から、菅公への信仰、もしくは安楽寺(現在の太宰府天満宮)の経済的な支配が被さっていったのでしょう。

境内には、宮地嶽神社八幡宮の石祠があります。

飯塚市内野 老松宮 - 美風庵だより

通説と異なり、宮地嶽信仰が玉垂命(筑紫君)となる前の若き日の藤大臣 阿部相凾(あべのしょうかん)とその家族を祀るものだと私たちは知っています。八幡宮も、玉垂宮の痕跡を上書きする際によく利用されました。

ここもまた、広い意味で元は玉垂宮であったのです。
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福岡県神社誌:中巻185頁
[社名(御祭神)]日吉神社大山咋命、菅原神)
[社格]村社
[住所]三井郡善導寺村大字興田字橋口
[境内社(御祭神)]八幡宮応神天皇
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(2020.04.25訪問)