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さきの三明寺天満宮から、さらに坂道(林道?)を登ったところにあります。自転車を押しながらやっとこたどり着き、拝殿裏の石祠(本殿)を眺めて驚きました。
「三社大明神」とあります。
つまり、神功皇后、勝村大神、勝頼大神の3柱が祀られているということで、決して古いものではありません。若き日の玉垂命こと、阿部相凾(あべのしょうかん=藤大臣)が抜けています。
どうもいろいろ調べてみると、文久2年(1862年)に水利争いで他の村から勝つために「勝村大明神」として現在の宮地嶽神社から勧請したのが始まりとのことです。14代将軍徳川家茂の時代で、薩英戦争をやっていたころです。「勝」「村」の願掛けでもあったのでしょうか。
となれば、この「三社大明神」も、宮地嶽神社が神功皇后、勝村大神、勝頼大神の3柱の御祭神となったのに歩調を合わせたものでしょう。
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[福岡県神社誌(抄)] 記載なし(発見できず?)
[社名(御祭神)]?
[社格]?
[住所]?
[境内社(御祭神)]記載なし。
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(2020.03.20訪問)