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福岡県神社誌の記載を約してみます。
集落の東南、現在飛塚神社(明日紹介します)がある場所には岩窟がありました。
その岩窟から振動と雷光がおこり、岩の上に金鉾が立っていました。
金鉾を御神体として神社をつくってお祀りしていましたが、のちに金鉾は消え失せたので、延宝2年(1674年)に木造の御神体をつくって安置し直した。
といった内容です。
八千矛神とは、大己貴(大国主)の武神としての別名とされています。
大己貴は大山祗の子であり、木花開耶姫(このはなさくやひめ)と兄弟にあたります。のちに大幡主の後継者となり、大国主となるのです。
大山祗が天照大神と仲違いする前の名前が月読命であり、この田主丸の地に月読神社や木花開耶姫(このはなさくやひめ)を祀るお宮が複数あることを考えれば、大己貴を祀る神社があってもおかしくはないのですが、それは八千矛神として祀る神社なのです。
どうやら飛塚神社というところに、なにかありそうです。
現地で福岡県神社誌に目を通し、しばらく休憩します。開けた場所から、ちょうどキリンビール福岡工場の看板が見えます。社殿を改修したときに取り外したと思われる鬼瓦が境内に安置されており、眺めていて驚きました。花菱紋です。
大己貴(大国主)を祀る場に、花菱紋とは、いったいどういうことなのでしょう。
推測が許されるなら、大己貴(大国主)への祭祀が、一時期、玉垂命への祭祀で上書きされていたとみるほかないのですが……。
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[福岡県神社誌(抄)]中巻218頁
[社名(御祭神)]神鉾神社(八千矛神)
[社格]村社
[住所]浮羽郡竹野村大字竹野字堂所
[境内社(御祭神)]上宮(八千矛神)、宮地嶽神社(神功皇后)、稲荷神社(倉稲魂命)
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(2020.03.20訪問)