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社殿内にある由緒書きによれば、この神社がある一帯(吉田町)は、星野氏の滅亡をきっかけにこの地に移住してきた住民により開かれた町とあります。慶長6年(1601年)に、この町の氏神とすべく近隣の村から移転してきたとも記されており、新しい町のシンボルとして建立されたもののようです。
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『遊覧雑藁 巻之二』『太宰菅内志 筑後の部』等に、鎌倉時代の初期、徳大寺実定卿の子の星野胤実が、多田蔵人行綱の子の猫尾城主黒木大蔵大輔源助能の猶子になって筑後に下り、筑後星野氏の祖となったと記されている。
(略)
鎮胤と弟の鎮元(しげもと)は、天正14年(1586年)8月に立花宗茂と戦い筑前国糟屋郡高鳥井城にて討死し、星野氏は滅びた。
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正面左手にもずらりと石祠や石碑が並んでおり、新しい町のシンボルに、さまざまな信仰を勧請して、身近にお参りできるようにしていった痕跡がうかがえます。
訪問して、スサノオと天照大神が姉弟とされ、他を差し置いて大出世のえびす様(事代主)をあわせ祀る記紀の世界に沿った配置になっているため、すっきりとした印象を受けます。
逆に言えば、決して古くはない(古層は存在しない)ということです。
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[福岡県神社誌(抄)]中巻238頁
[社名(御祭神)]素戔嗚神社(素戔嗚尊)
[社格]村社
[住所]浮羽郡田主丸町大字田主丸字上南
[境内社]大神宮、琴平社、恵比須社
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(2020.02.23訪問)